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写真家・野村哲也が贈る“地球の息吹”

最後の洞窟

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ペリリュー島の戦いは、要約するとこうだ。
最強のアメリカ海軍と、日本の水戸歩兵第二師団とのガチバトル。圧倒的不利な戦力差を、地の利を生かした玉砕戦法で埋めていく。
当初3日で終わると予想された戦いは、73日の大激戦となるが、遂に終焉の時を迎える。終わりを悟った中川大佐は、機密文書を燃やし、明治天皇から賜った軍旗を焼き、軍司令部に「サクラ サクラ」と打電。命を散らせた。
でも、実際に訪れてみると、本当の話とその続きが見えてくる。
中川大佐が自決した司令部の洞窟は、大山と呼ばれた丘を回り込んだところにある。「鎮魂 終焉の地」と彫られた石碑に、雨風に濡れたに日本国旗が置かれていた。
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でも、それは観光用に作られたフェイク。実際は、森の更に奥、地雷だらけのデスバレーを越えた先にある。断崖絶壁にいくつも掘られた洞窟、その一つこそが終焉の地となった。
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大佐は、子供のように可愛がっていた烏丸中尉に「首をおとしてくれ」と頼むが、中尉は「父を切れない」と膝をつく。1944年11月24日、銃で自身のこめかみを打ちぬいた。アメリカ軍が洞窟内で銃殺した大佐を見つけ、長い戦いに終止符が打たれた。アメリカ軍は敬意を表して、立派な墓を建立。終戦後、「墓に埋まる遺骨を引き取りに来て欲しい」と大佐の奥方にお願いすると、
「先に亡くなった1万人以上の方々を、まず帰してあげて下さい。主人は最後で」
日本遺族会による遺骨収集は、まだパラオで続いている。
ペリリュー島のジャングルは日々絶え間なく成長し、戦跡を呑み込んでいく。中川大佐の墓も、今は森の木々に埋もれ、何処にあるのか誰も知らない。
         ノムラテツヤ拝
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ペリリューの戦跡

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米軍が「3日、もしくは2日で落とせる」と見込んだペリリューの戦い。当時、世界最強だった米国第一海兵師団と対峙した日本の水戸歩兵第二師団。その隊長だった中川大佐は、500カ所の壕を作ることで島全体を要塞化し、73日という長期戦に持ち込んだ。
ジャングルの中に建てられた海軍司令部の建物や、
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日本軍が使った小さな戦車やゼロ戦、
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そして両軍の兵士の血に染まったというオレンジビーチ、
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2015年に天皇皇后両陛下が黙祷された「西太平洋戦没者の碑」。
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どこを歩こうと、不思議なことに温かい存在が、僕を抱きしめてくる。そして後をついてくる。
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「実は、私の父の弟(叔父)が、太平洋戦争の末期、南太平洋で戦死をしました。同志社大学を卒業し、当時委任統治領の台湾の商社に勤務し、応召されたとか。きっと甥坊が顔を見せてくれ、喜んでくれたのではないだろうか。どうも有り難う」。
父から届いた一通のメールに、温かな存在の理由が、分かった気がした。
          ノムラテツヤ拝
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中川大佐

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ペリリュー島には、いくつもの美しき語が紡がれた地。
その中心となったのが、熊本出身の武人、「中川洲男(なかがわくにお)大佐」だ。
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日本軍1万人に対し、アメリカ軍は4万5千人。火器の差は100倍もある劣勢の中、ペリリュー島の住民は、中川大佐へ共に戦いたいと懇願した。
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だが、「帝国軍人が土人と共に戦えるか」と一喝、島民は落胆し、船でパラオ本土まで運ばれることに。もう泳いで戻るのは難しくなった頃、中川大佐や日本兵たちがジャングルから浜辺に姿を見せ、笑顔で手を振って見送った。
「自分たちの命を救うために・・・」
第二次世界大戦で最激戦区となったペリリュー島は、島の住人の死亡者ゼロという奇跡の戦いの場でもあった。
大佐の墓碑に、こう刻まれている。
「人は憎しみでもっては戦えない。愛のために戦うのである」
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僕はこの島で散った日本軍、そしてアメリカ軍の両英霊に手を合わせに来た。
              ノムラテツヤ拝
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ペリリュー島

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パラオに行った最大の目的、それがペリリュー島だった。
第二次世界大戦において、最も激しい戦闘が繰り広げられた地であり、未だその戦跡を見ることが出来る貴重な場。
百聞は一見に如かず、とはよく言ったもの。どれだけ書籍を読んで想像しようと、その地に立つことは他のすべてを凌駕する。僕の持ち時間の中に、この地をどうしても重ねてみたかった。
コロールの港から南西に約40キロ、スピードボートで出航すると、空には大きな虹がかかった。
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まるでこれからの体験に花を添えてくれているよう。飛沫を巻き上げながら、1時間を過ぎると、突然珊瑚の海と南北に伸びた長く大きな島影が見えてくる。
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こんなところで、あの歴史に残る激闘が繰り広げられたことに、心臓の拍動が早くなった。体の時間軸を巻き戻し、あの時、あの場所へ向かおう。
               ノムラテツヤ拝
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素潜り

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大きな珊瑚の広がる海で、シュノーケリング。
葉っぱに陽光が差すだけで、海面とリフレクションをして、美があふれ出す。
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小魚たちの向こうに悠々と泳いでいくバラクーダの姿に、胸が詰まりそうになる。
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「もっと深く潜りたい、もっと突き詰めたい」。
我に戻って首を横に振る。陸上だけであまりに美しくて時間が足りないのに、水中はまさに宇宙の神秘そのもの。手を出せば、きっと二度とこちら側へ戻ってこられなくなる(笑)。それにしても、僕らの惑星ってなんて美しいんだろう。
            ノムラテツヤ拝
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