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写真家・野村哲也が贈る“地球の息吹”

鍾乳洞

湿度たっぷりの冷えた風が、体を取り巻く。
昨日のクエラップ遺跡での感動を、まるで静かに鎮めてくれているようだ。
今日は、もう一つの憧れの遺跡に向かう。
チャチャポヤスを最初に知ったきっかけ、そして今も変わらぬその愛しい姿を、ようやくこの目で見るときが来たのだ。
遺跡の名は「カラヒア」。
10年前、断崖絶壁の一枚岩の中に、モアイのような体長2~3mほどの泥で作った人形が、何体か建っている写真を見て、一目惚れした。
調べてみると、人形の中から人骨が発見されたことで、ただの人形ではなくお墓だと分かった。でも、何故こんな人形に入れたのか? 慣習だったから? の一言で片付けるにはあまりにも勿体無い遺跡だった。
どうして?
その疑問を、自分の体を通して、感じてみたかった。
この遺跡から、その意思なるものを、教えてもらいたかった。
それが僕にとって、どんな意味があるのかは分からない。でも、自分のやりたい事、知りたい事、感じたい事を実践してゆく先に、必ず意味を持ってくると思うのだ。
空は雲霧林らしく曇っている。もう少ししたら、昨日のように雲が割れ、一気に上昇してゆくのだろう。
昨日、着いたばかりなのに、遺跡を見て、村を歩き、宿に泊まることで、僕はチャチャポヤスをより身近に感じているのは何故だろう?
見慣れたから? いやきっとそうじゃない。
寝ている間に、この森の自然が、ここの高いエネルギーで包み、抱いてくれたからだろう。チャチャポヤスの気と、僕の気が昨日よりも今日の方が近づいているのだ。
住むということは、泊まるということは、凄いことだと想う。どんどんそのエネルギーを受け、対内から発光してゆく作業なのだから。
チャチャポヤスからルーヤというアマゾンの小さな村までガタピシの道をゆくこと1時間。
山道(c)

アドべ(土)作りの家の前に、袋詰めのジャガイモを背負った牛が歩き、川ではおばちゃんたちが洗濯をしている。ここは、チャチャポヤスの穀物庫。さすがナス科の原産国らしく、オユーコやパパネグロなど日本ではお目にかかれないジャガイモが作られ、現地民に話を聞くと、ジャガイモが30種類、トウモロコシ10種類をこの村だけで作っているらしい。
ここから更に1時間、山道を這うように上がり、ジャガイモ畑の真ん中で車は止められた。
畑の真ん中(c)

「CAVERNA DE QUIOCTA」と一枚の看板がある。
キオクタ洞窟とでもなるのか。
運転手から長靴を渡され、訳の分からぬまま履く。
今日はカラヒアだけに行くと思っていたら、その前に、少しだけ洞窟に寄るというのだ。
菜の花(c)

全ては流れのままに・・・・
周りにはジャガイモの花や、菜の花が咲きほこり、畑をどんどん下ると、大きなススキが生い茂っていた。
大ススキ(c)

ススキの道を更に降りるとクエラップ遺跡で沢山見た円柱の家が見えてきた。ここが入口らしいが、洞窟の形状を見ると、それは鍾乳洞だった。
鍾乳洞入口(c)

ガイドが姿を見せ、大きなライトを片手に、鍾乳洞の中へ入る。
あまりに真っ暗なので、慌ててヘッドランプをザックから出した。
足元は泥でぐっちょぐちょ、これは長靴がいるわな、と運転手の気づかいに感謝した。
全部で5つの部屋になっていて、鍾乳洞らしい造形物が見てとれた。
中でも驚いたことが2つ。
一つはコウモリが沢山住んでいるのだけど、その奇声のような鳴き声が洞窟内に響き分かる音の残響音。
もうひとつは、最後のフロアで撮った写真に、沢山のオーブ(たまゆら)が映ったこと。(オーブの写真は近々公開します)
そんなに大きくない鍾乳洞だったので、40分くらいで戻ってきた。
鍾乳洞内部(c)

昼食はルーヤの町でパパワンカーヨと呼ばれるジャガイモのスライスに香辛料とチーズをかけたものを食べ、午後から今日のメインイベントのカラヒア遺跡へ向かう。
                                   ノムラテツヤ拝
パパワンカーヨ(c)
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炎の遺跡

野の花(c)

クエラップ遺跡の駐車場に車を置いて、ここから石段の道を2.5キロ歩く。
登山道の脇は、ランや見たこともない花で覆われ、気分はお花見。だた、ちょっと早歩きをしたりすると標高が3000mなので、動悸が激しくなる。
黒い蝶々が、花の間を飛び、サルオガセが木々に絡まる。動物の糞尿の匂いが森の香りと入り混じる中、ブルーのルピナスが風にそよぐ。
クエラップ遺跡にどんどん近づくにつれて、どんどん体が熱くなってくる。肌色というよりも黄土色の城壁が見えてきた。
クエラップ城壁(c)

ガイドのジョンが解説してくれる。
「クエラップ遺跡内には、250の家がありました。ひとつの家で約4人住んでいたとすると1000人ほどが、ここで暮らしていたようです。クエラップ遺跡の語源はコングラッペ→クエラッペエ→クエラップと転訛し、意味はクンブレ・頂きを意味します」
ここは確かに山の頂上に作られた遺跡、マチュピチュとかは周りにもっと高い山があるけれどクエラップは、周辺にこれ以上高い山は無かった。
「遺跡の大きさは長さ1キロ、幅100mと巨大です」
城壁2(c)

見渡すと、崩れおちた岩がゴロゴロとし、そこのツタが絡まっている。
良いっ。 僕の好きなタイプだ。
入口の前まで来ると、エネルギーは更に強くなる。入ろうと思っても押し戻される感じだ。
クエラップ遺跡は2ヶ所の入口がある。
クエラップ入口(c)

その両方ともが入るのは大人4人くらい通れる広さで奥に行くにしたがって、一人通るのがやっとになる。戦闘するのに、適した作りだったのだろう。そして道はまっすぐではなく、ジグザグに刻まれ、3階層に分けられていた。
ウクパチャ、カイパチャ、ハナンパチャ。インカの思想も3段階。きっと文明を作ってゆく上で3という数字は何か特別なものになってゆくのだろう。
みんな一緒なのだ。
クエラップ遺跡を上から見るとコンドルの形になっているのも、クスコの近くのサクサイワマンやマチュピチュと同じ。違うものを探そうとしても、同じものに目がいってしまう。
一階から長い階段を上り、二階へ。
そのフロアには円柱形になっている石組が沢山残っていた。
円柱の家跡(c)

ジョンは「この家の下に先祖を埋葬し、その上で人が暮らしたという報告もあります」という。
その言葉を聞いた瞬間、また似ている場所を思い出してしまった。
コロンビアのサンタマルタ山塊屈指の遺跡「シウダーペルディーダ(失われた都)」も円柱の家の跡に先祖を埋葬し、自分たちは連綿と続く先祖の先に生かされている事を日々実感していたのだ。ここも全く同じ雰囲気だった。
二階から階段を上り、三階へ。
上がった瞬間に、エネルギーがマックスになる。
三階は祈りの場所だったのだろ。ジョンに聞くと、そうだと頷いた。
南と北に一つずつテンプロ(寺)があり、中間に平たい一枚の岩があった。
そこからエネルギーが噴出しているのだ。この下に何かあるのか?それとも今現在も気のエネルギーが祈り込まれているのか?
血がたぎってくる。強い、強い。全身の毛が逆立ってくる。
真ん中の岩に手を当てると、炎のように爆裂の気が、僕の体をグルグルと巻き上げる。更に強くなってくる。汗が吹き出し、僕は失神しそうになった。
「炎の遺跡」
クエラップは、アマゾンの民たちの炎の遺跡だったのではないか?
見晴らし台から、周りの山を見渡すと、トウモロコシなどの畑がパッチワークのように整然と並んでいる。空気が濃すぎるのか、息が詰まってしまう。
リャマ2(c)

三階から二階を見下ろすと、さっきまで分からなかった二階の気が見えてくる。二階の円柱の石組みから、竜巻のように気が上がり、三階はそれらをコントロールしているのだ。平たくて、熱いエネルギー。地中からマグマが噴出しているみたい。
二階の遺跡(c)

平たい石のすぐ脇に、何だか異様な黒い雲母が混じった石がある。これに手を当てて、僕はすぐに引っこめた。エネルギーがグングン吸われる。これはきっと昔の処刑場だったに違いない。
そして平たい石の右側にある神殿跡に裸足で立ってみると、足にゴンゴンとエネルギーが当たり、目をつむると、瞼の裏が真っ赤になった。
神殿跡(c)

三階から二階へ落りると、温度が一気に下がった。空気も細やかになり、家の中はやっぱり地中に先祖の骨を感じる。
円柱の家は、温度差によって細長く割れた石を使い、それらを積み上げて作られている。
台所跡には、野菜や果物などを入れておくデポジット、バタンと呼ばれる石臼、暑さ対策のためベンティラシオンという空調設備、クイ(天竺ネズミ)の飼われていたところなどがそのまま残されていた。
オリジナルが残っている強さを想う。
その上に修復という名を借りて塗り固めてゆくのも一つの作業、でも僕はやはり朽ちていても良い。オリジナルから、その時代に住んでいた人たちの息吹を感じたいのだ。
クエラップの壁(c)

二階の一番南にはティントゥーラと呼ばれる、祈りの神殿があった。
三階の炎の気とはうって変わって、あまりに細やかな気が辺りを埋め尽くしていた。
まったくもってパーフェクトの遺跡だった。
住居跡(c)

炎のようなエネルギーから、細やかで上質な若葉のようなエネルギー、そして氷のように冷たく静かなエネルギー。そのすべてが場所を変えることで、圧倒的迫力でせまってきた。
帰り道は、雨がポツポツ降り始め、色が冴えた。
クエラップ出口(c)

城壁の色、花の色、葉っぱの色が、まるでそこから発光しているかのように光り輝いていた。
間違いない。僕にとって、この遺跡はマチュピチュを凌ぐものだった。
                                   ノムラテツヤ拝
石模様(c)
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雲霧林

花(c)

ガイドの名前はジョン。若くてイケメンだ。
予定よりも30分遅れて、現地ツアーが出発。
チャチャポヤスの村を抜けると、すぐにオフロードになり、セハ・デ・セルバと呼ばれる雲霧林(うんむりん)の森が目の前に現れた。霧と雨がまるで生きもののように森の中を縫う、まさに屋久島のような森だ。
雑種の犬が走り回り、アマゾンの人々は畑を耕し、雲が上昇してゆく。雲の切れ間から太陽が顔を出すと、緑がピカピカと光り輝く。
バナナの木の下で羊が飼われ、防風林のためにユーカリの木々が至る場所から伸びている。
それにしても、インカ語(ケチュア語)の響きって、どうしてこうも可愛いらしいんだろう。
マチュピチュ(老いた峰の意)やチャチャポヤス(雲上の人々が住む地)などは勿論、これから向かうクエラップ遺跡もまたイイカンジ。
車はレイバンバ方面に左折し、道は更に悪くなる。断崖絶壁の道をクネクネと下り、右手にチリモヤの木、左手に3mをゆうに超えるアロエベラが自生していた。眼下にはウトゥウバンバ河(綿の河の意)が黄土色の河が流れ、上空を両翼3mのコンドルが優雅に舞う。
車は見晴らし台で止まり、ジョンがマクロと呼ばれる家の地形を説明してれる。断崖の中腹に、円柱状の家が20個も建っているのだ。屋根には草が青々と生え、谷から吹きあがる風が心地よかった。
マクロ(c)

チャチャポヤスから1780m地点まで下がってきた。
ここからクエラップ遺跡までは、ずっと登ってゆくらしい。クエラップ遺跡の標高はジャスト3000mだ。
道脇にはいちごっぽい花や、オレンジの花など、雨季らしく花園と化している。クワを持って子供が2人テクテクと歩き、話を聞くと、これから耕しにいくという。
ここでペルーの地形を少しだけおさらいしておく。
ペルーは日本の3.4倍の面積を持ち、東から西へ移動すると海岸、高原、アンデス山脈、そしてアマゾンと多様な気候が広がっている。海岸部のチクラヨからアンデスを越えて、チャチャポヤスはもうアマゾンの気候。なので、標高が2000mを越えているにも関わらず、植生は正にアマゾンなのだ。
チャチャポヤスから2時間でオールドティンゴの村へ到着。何だかエクアドルの長寿の村“ビルカバンバ”に似ている。胡椒の木も生え、その前を牛が横切ってゆく。
2300m地点。
雲が山肌にへばりついてくる。
落ちたら即死の絶壁を、運転手は器用に上ってゆく。道脇の落石も凄まじい。いつ巻き込まれてもおかしくないが、緊張感が増すよりもワクワク感が勝ってしまう自分がいる。まだ整備されていない原始の道の力強さと荒さが、なんとも魅力的なのだ。
山道(c)

整備され過ぎているよりも、未整備の方に心惹かれる。遺跡ならば、自然が遺跡をのみ込み、元の自然を取り戻してゆく姿に惹かれてしまうのだ。
トーテムポールを例に挙げれば、博物館には運ばず、そのまま、その建てられた祈りの地に、朽ちてゆけば良い。トーテムポールは消えても、そこが聖地なのは変わりようが無いのだから。カナダのクイーンシャーロット島のように、朽ちて、消えゆくものに価値を見出す文化に僕は憧れてしまうのだろう。
1mほどのススキが、逆光の中で輝き、山の斜面の小さな畑では、トウモロコシが作られている。この段々畑こそが、ケチュア語でアンデン、アンデネス。それが転訛して、アンデスになったことはテツヤ通信で何度も書いてきた。アンデスは段々畑が沢山あるということ。つまり、山の斜面を昔からいかに有効活用してきたかという事になる。
畑(チャクラ)の中で、ぽつんぽつんと人が鍬で耕している。自然の中に抱かれるように時間は緩やかに過ぎ、僕の心の奥にある連綿と続く時間感覚が、呼び起こされてゆく。時間に縛られるのではなく、時間と寄り添う生き方を選んでゆきたい。
牛が闊歩し、おばちゃんが追いかけ、鶏が勢いよく走る。
人がいて、家があり、道が続く。ネパールの寒村のようなチャクタマル村に着くと、標高は2500mを指していた。
村の風景(c)

「ここから20キロでクエラップ遺跡だ」とジョンが言う。その言葉につられるように、車のエンジン音も上がる。
家の軒先で、豚が丸焼きにされていた。あぁ~、食べたい、と後ろ髪ひかれながらも、目的地へ。
遠くにライオンキングの映画に出てきそうな見晴らし台のような岸壁が見え始めた。
遠くにクエラップ(c)

「あそこにクエラップ遺跡はあるんだ」
「ジョン、遺跡って、あんなに大きいの?」
「そうだ、長さが1キロもあるからね」
最後のマリア村を過ぎ、左に大きく迂回すると、クエラップ遺跡の城壁が肉眼でもハッキリと見えてきた。
クエラップ城壁(c)

それは、アマゾンの中に、突然現れた“聖なる遺跡”だった。
                                   ノムラテツヤ拝
花と虫(c)
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チャチャポヤス

南米13ヶ国の中で、未だ行ったことの無い、憧れの場所が2つある。
一つがペルー北部のチャチャポヤス、もう一つがブラジルの白砂の中にカリブ色の湖が広がる国立公園だ。
2度目、3度目で訪れたい場所は数多くあるけれど、初めてで興味ある場所は少ないので、自分にとってそんな場所は宝物のように感じている。
夜の7時、チクラーヨのバス停にチャチャポヤス行きが入ってきた。
信じられない・・・・。定刻よりも早くに入ってくるなんて。最もバスの時間が遅れる国、それがペルーとボリビアだと思っている僕は、開いた口が塞がらなかった。バス停には1人、また1人と活気づいてきた。
昨日の切符購入時点で、残り3席だったから今日の夜行バスは満席だろう。
バス停(c)

『チャチャポヤス』。
この不思議な名前は、インカ語(ケチュア語)で“雲上の人々が住む地”を意味する。サチャポヤスが語源となる。チャチャポヤスには、マチュピチュ以上と噂される遺跡・クエラップ、そして不思議な空中墳墓のカラヒア遺跡などがあり、昔から恋い焦がれていた。
いつか、この場所に立つ。その瞬間が、ようやくやって来たのだ。夜行バスにエンジンがかかり、チクラーヨから東へ向かって闇の中を走りだす。
体を振動させられたからか、すぐに眠気をもよおし、寝てしまったが、途中で何度か起きるたびに、バスのスピードに驚かされた。山道を凄まじいスピードで駆け上がっているのだ。
窓から外を見ると、崖が見える。見なかったふりをして、また目を瞑った。
7時半に出たバスは、チャチャポヤスに翌朝の4時半に到着。ジャスト9時間の旅だった。これで1400円だからペルーのバス代ってまだまだ安いと思う。
バスを降りて、バックパックを背負うと、タクシーの運ちゃんたちが駆け寄ってくる。それらを振りほどき道へ出ると、一人の男性が闇の中から迫ってきた。濃い口ひげに、大きな瞳、マリオブラザーズのマリオみたいな顔立ち。カルロスと名乗り、ホテルを紹介し始めた。
こんな朝早い時間だからこそ、なんとかしてホテルに潜り込まないと。それもアーリーチェックインをせずにそのまま無料で入れてもらうには、自分で探すよりもマリオに連れていってもらった方が良いと判断し、彼の後を追った。
中央広場まで歩き、真っ暗の中、建物の一角で止まった。ノックをすると、中に光が灯る。
マリオの手まねきのもと、中へ入り、チェックインした。
そして5時から7時まで仮眠して、8時半から現地のツアーに参加することを決めた。
ちょっと強行だけれど、これからのスケジュールを考えると、今日、クエラップ遺跡に行けると後がぐっと楽になるのだ。
クエラップは第二のマチュピチュと形容され、発掘が進むにつれて、マチュピチュ以上と噂されるホットな遺跡。2000年前、アマゾンの中に王国があった。それがチャチャポヤス。マチュピチュよりも大きい巨大な遺跡がアマゾンの奥に眠っているというのだ。
チャチャポヤスの朝(c)

標高2250mのチャチャポヤスの村に朝日が差し込んできた。ホテルのパティオで簡単な朝食を頂く。卵はしっかりと味がして、オレンジジュースはしぼったばかりで酸味がたっぷり。バナナも美味。一噛み、二噛みは上品なバナナが、三噛み、四噛みすると、トロリと甘くなる。
午前8時30分。
憧れの遺跡へ出発だ。
                                  ノムラテツヤ拝
朝の晴れ間(c)
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ペルー | コメント:2 | トラックバック:0 |

チクラヨ

レチェティグレ(c)

ペルーの大地を初めて踏んだのはいつの事だったろう?
多分、10年前にマチュピチュとチチカカ湖を訪れたのが最初だったように思う。
8年前に阪根ひろちゃんと出逢い、出逢った翌日の昼、僕はプンタ・サルにいた。意味は「塩の岬」とでもなるのか? ペルーの首都・リマでも有数のセビーチェリアだった。
その時の僕は、ペルーの国民食の“セビーチェ”の存在すら知らない状態。セビーチェとは白身の魚やエビなどの魚貝類に、トウガラシ、紫玉ねぎ、胡椒、塩、そして日本でいうところのカボスとライムの中間のようなペルーレモンをたっぷり絞ってミックスしたものだった。
セビーチェ(c)

今回も北へ向かう前に、リマでセビーチェを食べようと思い、約4年ぶりにプンタ・サルへやってきた。ミックスセビーチェとタジャリンサルタード、そしてビールとレチェディグレも併せて注文した。色々な魚介類が入ったセビーチェ、ペルー版の焼きそば、そしてセビーチェを作る時の汁が虎の乳(レチェティグレ)だった。レチェティグレは、ペルー国内でも人気が高く、食欲減退や二日酔いにてきめんとされる。ビールと一緒に出てきたので、口をつけると、しびれが来るほど酸っぱい。
「んあぁぁぁ」。体がブルブルッと震える。
うまいっ。
僕は五味でいうところの酸味と苦味をこよなく愛しているので、酸っぱいものに目がないのだ。
そしてあの時と同じセビーチェの味を楽しみ、洗練された焼きそばを頂いた。
タジャリンサルタード(c)

リマ市内から空港へ向かい、夕陽を眺めながら飛び立つ。
ペルー北部で有名な町は、トゥルヒーヨとチクラヨ。トゥルヒーヨはペルーで3番目に大きく、チクラヨも70万人都市だという。このチクラヨこそが、今回の旅の舞台となるのだ。
ちなみに訪れるのは初めて。初体験の土地だ。
ペルーに着いてからというもの、本屋で英語のガイドブックのロンリープラネットかフットプリントを探していたが、バケーションのシーズンなのか見つける事ができなかった。
今回は、感じながら、ゆっくり旅しなさい、と言われているような気がした。
リマからの機内はほぼ満席。1時間も飛ぶと、眼下の風景が砂漠化してくる。左手に太平洋。礫砂漠の中にところどころ、家が建っているのが見えた。打ち寄せる波は、まるで織物のひだみたい。トゥルヒーヨの大きな町を越えると、最終着陸態勢に入り、大きく右に旋回する。
パステルカラーの空、バックには猿の惑星のような乾燥砂漠が広がり、家々はアドべ(土)作り、水を引いているところだけが緑一色だった。まるでモロッコみたい・・・。
チクラヨ上空(c)

空港は極めて、しけていた。
真っ白いバラックのような建物で、荷物をそうそうに受け取り、空港を出たところで、ホテルの値段交渉を開始。一番誠実そうなエジソンのところに決めた。エジソンの勧めで、明日の夜行バスのチケットをオフィスで購入し、ホテルへチェックイン。そのまま彼の好意で中央広場まで送ってもらった。
旅はいつも誰かに助けてもらうことで成り立っている。いや日常もそう。色々な人が絡み合い、手を差し伸べてくれ、初めて今、この瞬間があるのだ。
そして、今朝は中央市場やモデロ市場を見学し、カラフルな果物や、日本と全く同じ“するめ”などに目を奪われた。
するめ(c)

昼の13時ジャスト、エジソンが迎えに来てくれる。
「さぁ、行こう」
ペルー北部、それもチクラヨ周辺は、カブリートというヤギ肉が国民食になっている。ヤギはヤギでも仔山羊。この辺りで一番美味しいヤギ屋さん、それをエジソンから聞き、今日連れていってもらう約束をしていたのだ。
『カブリート(ヤギの意)』。
この言葉を聞くだけで、僕の唾はコンコンと泉のように湧き出て、涎が瀧のように流れ落ちる。
もう4年ほど前だったか。日本の若き料理人が、北部を旅してリマへ戻ってきた。その時に背中に担いで持ち帰ってものが、カブリートの生肉だった。
彼は岩塩とコショウだけで味付けし、あとは野菜とカブリートの肉から出るうま味だけで、スープを作ってくれた。ナイフなんかいらないほど、とろんとろんに柔い肉を噛みしめる。
「この肉って、なんか牛乳の味がしませんか?」
「だって、この仔山羊は生まれてからミルクとアルガロボ(野生の精力剤)しか食べてないですから」。料理人の言葉に、僕はまさにイベリコ豚を想像した。イベリコはどんぐりだけれど、ペルーのカブリートはミルクとアルガロボだけ。
あの優しくキメの細やかな味を、未だに忘れることが出来ない。
エジソンが言う。
「美味しいカブリートは、厳密に言うといチクラヨではなく、ランバジェーケにある」と力説する。理由は近くにヤギ飼いの村があるから。
砂漠の一本道を、エジソンの運転で北上する。北へ、北へ、11キロ。
「ランバジェーケには20のレストランがあります。でも本当に美味しいのは3店だけ」 何とも心強いことを言ってくれる。
「で、どこと何処なの?」
「1番目はP、2番目はR、3番目はCという店です。ちなみに魚と貝を食べるならCへ、ダックを食べるならRへ、そしてカブリートを食べるならPが一番です」 いやがおうにも、気分が盛り上がってくる。
車でものの15分ほどで、ランバジェーケへ到着。
そしてすぐPの看板を見つけた。看板の下に、Pと書かれたトロピックな看板。エジソンが店の人に美味しいカブリートを食べさせてあげて、と頼んでくれている。
「よっし、食うぞっ」
店内に入ると、竹で作った天井からファンがゆらゆらとまわり、所々に写真や土器が飾られていた。大好きなビール・ピルセンを飲みながら、セビーチェとカブリートを頼む。
出てきたセビーチェは昨日のプンタサルの方が美味しかったけれど、今日の主役はカブリート。
ブツ切りの仔山羊を、たっぷりのコリアンダーで煮込み、脇にはユカ芋(タピオカの原料)が添えてある。ようやく、この時が・・・・・。
カブリート(c)

食べてみると、さすが鮮度が違うのだろうか。ヤギによくある臭みは全く無く、肉もほろほろと柔らかい。沢山の香辛料が使われているから、後に様々な味の津波が押し寄せてくる。
うまい。文句はない。
でも・・・とも思う。あの料理人が作ってくれたミルクの味のするカブリートの方があと数段美味しかったのだ。今日から更に山奥へ入るが、5日後にはまたチクラヨに戻ってくる。
現地での聞き取りを強化して、ミルクの味のするカブリートを探さねば。
このカブリートの涙のちょちょ切れる美味さがあって、初めて“ペルー北部激ウマツアー”を募集できるのだから。
                                   ノムラテツヤ拝
食堂にて(c)
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