ペルーダック2009-02-19 Thu 01:53
![]() ペルーが好きだ。 パタゴニアの森から飛行機を乗り継いで、ペルーの首都リマへやってきた。 ミラフローレス地区のいつもの宿に荷を下ろし、早速愛すべき人と待ち合わせる。 「よぉ~、元気してた?」 敬愛する阪根ひろちゃんが、半そで短パンといういでたちで、やってきた。少し痩せられたかな? 「夏ですねぇ~」 「これがペルーよ。リマ晴れだな」 僕は、今までぺルーに20回ほど来ているが、砂漠の花が咲き誇る9月か10月に滞在することが多か った。だからだろうか、リマという町全体がガルーア(海霧)に包まれた印象を持っている。 真っ青な空に、薄いイッタンモメンのような雲が流れてゆく。 「じゃ、行こうか」と向かったのは、ペルーリマのセントロ(中心街)だ。 ひろちゃんと一緒に旧市街に行くなんて、いつ以来だろうか? リマは、ミラフローレス地区とセントロ地区があるけれど、一般的に治安が悪いとされる旧市街は、よほどの事が無い限り、現地民も近寄らないのだ。 「でも、今日は旧市街に行かないと食べられないものだから」 ひろちゃんに最初に逢ったのは、今から8年ほど前。 南米一周の一人旅をしている途中だった。ペルーの地で、何度美味しい食事に唸らせられたことか。 今なら自信を持っていえる。世界三大料理は、中国料理、フランス料理(イタリアも含める)、あと残りの一席はトルコではなく、日本、韓国、ペルー料理のどれか、だと。 それほど、ペルーには美味いものが溢れる美食の国なのだ。 ペルーの昼、と言えばセビーチェなどの海鮮ランチと相場が決まっているが、今回は中華料理だという。 「オレが今まで食べた中華料理の中でも突出してる店がペルーのセントロにあってさ。ペルー・ナンバーワンだと思う」 「ペルーのナンバーワンなんですか?」 「いや、ごめん、違うな。香港のY酒家よりも美味しいかもしれない」 その言葉を聞いてのけぞった。Y酒家と言えば、香港の名店中の名店。そこよりも美味しいお店がペルーの旧市街にあるなんて。南米13ヶ国には、少ないながらも中華街がある。その筆頭がブラジルとペルーだった。 旧市街の昼は、やはり雑多な香りに包まれていた。森の鮮烈な空気感に慣れていた自分は、匂い の多様性に、鼻をクンクンさせてしまう。 アバンカイ通りを抜けて、偽造証明書屋さん、子犬からイグアナまでの違法ペット屋さんなどを横目に、カポン通りに入ってきた。カポン通りの両脇には中国の建物、食材屋、レストランなどがひしめきあい、漢字がありとあらゆるところに溢れている。そんな中を迷いなく歩くひろちゃんは、半そで短パン。もう現地の中華人にしか見えなかった。 「ここだよ、ここ」 レストランKの前でひろちゃんが立ち止まった。 ショーウィンドーの中に吊るされた焼きものを見ながら、左手の階段を上ってゆく。2階には、いるわ、いるわ、満員御礼のお客さんの8割は中国人だった。 テーブルに座ると、赤と黒のチェック服を着たボーイがやってくる。 「いつものヤツ」とひろちゃん。 ボーイは、すぐに裏手に下がり、ビールを3本持ってきた。 「ここはさ、昔から知ってたんけれど、この前久々に来てしみじみ食べたんだ。う~んと唸って、また4日後にまた来て、しみじみとさ」 ビールで乾杯し、ひろちゃんの四方山話に、耳を傾けていると、さっきのボーイが飴色の物体を運んできた。今日のメインは“北京ダック”だった。 ![]() 「オレが今まで食べた中でも、この店のは極上だ」 ボーイがダックの皮を薄く薄く切り分けていく。自分も中国で4回ほど、この飴色ダックを食べたことがある。北京、広州でそれぞれ2回づつ。 北京ダックは薄く切るのが勝負。このボーイの技術は、見ていて気持ち良かった。 カリカリのビーフンというか、ベビースターのような上に、薄切りが丁寧に敷き詰められてゆく。 「まずさ、北京ダックって、美味しいとかまずいとか言うこと自体が贅沢なんだよ。だって日本に住んでて、北京ダックをしみじみ食べるなんてあんまり無いだろ。大抵の場合は結婚式とかの晴れの日に、ちょっとつまむくらいでさ」 「そうですよね。でもこの北京ダックって、何で中華料理でこれだけ有名になったんですか、最初に作られたのは、いつ頃なんでしょうね?」と早速疑問を人間トリビア、知的文化遺産の阪根ひろちゃんにぶつけてみる。 「やっぱりまずは宋の時代だろ。あのときにコークスが産まれてから、中華の料理が激変したのは間違いない」 中華は火力が命。その火力の元がコークスだった。 「そこに北京という土地柄、いろいろなものが集まってくる。アヒルの有名な産地から送らせ、宮廷料理として完成させたんだろうなぁ」 おつまみに、米粉のクレープを食べながら、更に話を聞く。 ![]() 世界三大料理は中国、フランス、トルコと言われている。が、どれもその料理は宮廷料理が発祥とされ、宮廷に仕えた人たちが、やがて庶民に味を伝え、それが僕たちの口に入ってくるという流れなのだ。 テーブルの上に置かれたネギがこれまた可愛い。ネギを小さなピーマンの輪切りで束ねてあるのだ。ピーマンをはずし、ネギを割く。 ![]() そしてトルティーヤみたいな薄い皮に、薄い北京ダックを乗せ、上にネギを載せ、辣と呼ばれる香辛料を付けて食べる。 ![]() ![]() 「んっ、んっ、上品ですねぇ」 「そうだろ、ここのは油っぽくなくて、上品極まりない」 くどくないので、何個でも行けてしまう。 そして次に出てきたものに、僕は目を丸くした。 レタスの上に輪切りのアスパラ、ニンジンとセロリとズッキーニのみじん切り、そして黒い肉のようなものがピラミッド型に積まれる上に砕かれたカシューナッツがまぶされている。 ![]() 「何ですか、これ?」 「さっきの中身だよ」 中国で何度も不思議に想ったことはココだった。北京ダックという料理を頼むと、悲しいことに殆どの場合「皮」だけ出てきて、ダックの中身は出てこないのだ。が、ペルー中華は、中身も北京ダックという料理の枠に含まれているらしい。 それらを、辣につけて食べた瞬間、口内に多様に広がる味に、僕は沈没した。 ペルーはアマゾンを抱える国。そのアマゾンからこのカシューナッツは運ばれてきているのだろう。味が違う、味の深みが。中国の華、北京ダックの肉をこうやって出すこと自体が、僕にとって初体験だった。 無我夢中で食べる。 「てっちゃん、ビール飲むのも忘れてるよ」とひろちゃんがコップを空けるように促す。 ほんと、ほんと、忘れてました、照れ笑い。 まさに犯罪の味だった。 「てっちゃん、美味しい北京ダックを食べたけりゃ、ペルーに来なきゃな」 スペイン語で、北京ダックのことを「パト・ペキネス」という。 「ここはペルーだから“パト・ペルネス”だな」とひろちゃんが、ふうわり笑った。 頭がボーっとなり、椅子に根が生えてしまったよう。 僕はしばらく動けなくなり、ただ、ただ、味の深みを体中に沁み渡らせた。 確かに美味い。皮と肉、この両方だと、僕も同感。今まで食べたどのペキンダックよりも、ペルーダックのほうが美味かった。 ペルーは奥深い。今回の旅は2週間を予定しているけれど、文化と味の旅になりそうだ。 帰り道、ひろちゃんにピスコサワー発祥のバー「ホテルM」に連れていってもらい、昼下がり午後に、レモン色のカクテルを飲んだ。 そして、夜がまた凄かった。 ひろちゃん宅に招待されて、今度は海鮮攻め。 その前に、お酒攻め。 「まぁ、ペルーは田舎だから、こんなお酒しか用意できないんだけれど」 出されたのは、何とジャパンが世界に誇る日本酒「洗心(せんしん)」だった。 ペルーで銘酒・洗心って・・・・・。 「こんなのもあるけれど」と福井産の「梵」まで出てくる。 ほんと、とんでもない家ですこと。 久しぶりの日本酒を啜り、その後は見たこともないチリ産のワインを。 テーブルの上には、巨大な川エビを蒸したものと、さっきまで生きていたワタリガニのカングレッホが並ぶ。そしてひろちゃんの親友トシさんのところからお寿司も届けられた。もう僕の目なんか、キランキラン。 デザートはマラクーヤ(パッションフルーツ)とチチャモラーダ(トウモロコシの発酵酒)のクレモラーダ(アイスクリーム)で締め。 美味しい食事と美味しいお酒、気の置けない人たちとの楽しい会話。世の中にこれ以上の幸せってあるんだろうか? 僕の体は幸福感にボワンと包まれ、時間は緩やかに、夜はしっとりと更けていった。 ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタンをクリックお願い致します! ↓ ココをクリック! ![]() |
光を蒔く人2009-02-19 Thu 01:23
ちょうど8年前、僕は南米ペルーで“光を蒔く人”に出逢いました。
僕の憧れの人を、その時に文章にしたものです。 『光を蒔く人』 「若いときに外国を旅することは、世界の目線を体で感じ、日本を再認識することにある。大切なのは自分の中で変化を生み、周りを少しづつ良くしてゆくことなんだ」 こんなエッセンスを僕に力強く語ってくれるのは、ペルー在住、天野博物館事務局長の阪根博さん。 「体験を経験に変えるのが旅の醍醐味」ときっぱり言い切るその雰囲気に、まばゆい力が煌めいていた。 「博さんの持論、教えて頂けませんか?」 ワイングラスをクイッと傾け、僕の目をしっかり見つめながら答えてくれる。 「誰に何て言われようが『自分に真っ直ぐ』『純粋に突っ走る』しかない。そんなうまい話ないってよく言われるけど、そんなことはねえ。真っ直ぐ、純粋に、自信を持って進めば、必ず助け船を出してくれる人がいる。『直球は正しいんだよ。直球は強えんだよ』そこに迫力があるから、変化が生きてくる。今を完全燃焼、思いっきり突っ走れ!」 彼はずっと後に生まれて来た自分に、何か大切なバトンを渡すように語り続けてくれた。 「いつの時代も同じこと。現代がもしも違うなら、それはみなが種まきをしなくなったことだろうな。人と人が利害関係なしに出逢い話し合う時間と空間。ここにこそ生まれる人の種まき。一、二年じゃ人の芽はなかなか出ないが、十、二十年続けてゆくときっと発芽するはずだ」 博さんは、ペルーを愛する人なら誰にでも力を貸してくれる。まるで自分が虜になったペルーの大地へ恩返しするかのように・・・。 その数は年間数百人にのぼるというから驚きだ。 正に彼は「光を蒔く人」だったのである。 生きとし生けるものは、いつか土へ帰り、また新たな旅が始まってゆく。そして最後に力を持つのは生命の種をいかに蒔き続けてゆくかという、シンプルなことなのかも知れない。 阪根博。 彼は「光の種」を心に蒔くことで、未来の土壌に希望の花を咲かせていた。 ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタンをクリックお願い致します! ↓ ココをクリック! ![]() |
雨の多い森2009-02-17 Tue 05:42
![]() 昨日の土砂降りは凄かった。 最近の日本用語で言えば「ゲリラ豪雨」となるのだろうか。 でも“ゲリラ豪雨”って、まさに「スコール」なんじゃないのかなぁ~と思いながら、森に降りしきる雨の軌跡を目で追った。 雨の音が好き。 針葉樹のチリ松には、森に差し込む薄日のような細長い雨が、広葉樹の南極ブナには、太くまあるい雨が降る。ウルモ(ニレ)の葉っぱからは、“コツコツ”と雨の歩く音を聞いたかと思うと、ナルカスの巨大な葉には、“パッツパッツ”と水玉が弾け飛ぶ余韻を聞く。 森が奏でる、長い音、短い音、中くらいの音。 多様に重なり合う、高い音、低い音、中くらいの音。 雨の唄は、僕たちに木々の密度を教え、森の輪郭をクッキリと浮かび上がらせてくれるのだ。音の世界で森の密度が分かり、自然が醸し出す森のシンフォニーが響いてくる。 ![]() チリの10州、ロスラゴス州(ラゴス=湖)は、名前の通り湖が多く、降水量も飛びきり多い事で知られている。 僕が好きになるところ、住んでみたいな、と思うところはきっと雨の多いところなんだと思う。 シットリした空気感、肺が喜ぶ鮮烈な酸素、美味しい水、そして綺麗な空。深い森も、花々も好き。 日本なら屋久島や利尻島なんか、とても興味があるのは、雨と深い関わりがあるのだろう。 森の豪雨は生命を育み、自然に奥深さを与えてゆく。そして雨上がりの空の綺麗さといったら、光の美しさといったら、この世のものとは思えないほど。 昨日も夕方、雨が止み、空から光が降りてきた。まるで天使が梯子を使って下りて来ているみたい。 慌てて、カメラを持って散歩に出かけると、葉の上の滴に陽光が当たり、森全体が輝いていた。 「こんな美しい地球に生まれて、有難うございます」と、ため息が出てしまう。 ![]() 一滴の雫が樹皮を伝い、コケが水玉を掴んで、大地へ落とす。大地は水を吸い、腐葉土の甘い香りを立ち上げる。森に甘い香りが漂うのは、この土のお陰に他ならない。 深い森はどれだけ雨が降ろうと、それを貯め、自然に排出する力が備わっている。 この森も、少しずつ、川に貴重な水を、流してゆくのだろう。 ![]() 雨の多い森が好き。 夕日がオソルノ山に当たり、森は夜を迎えてゆく。 ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタンをクリックお願い致します! ↓ ココをクリック! ![]() |
世界の花園2009-02-16 Mon 02:15
![]() 20代後半、僕は阪根ひろちゃんと出逢い、ペルーの花園「ローマス」を何度も訪れた。 高山植物や野花には以前から興味があったものの、ここまで重点的に、ジックリと同じ花々を眺めたことはなかった。 ジャガイモの原種ソラヌムピンナディフィディウム、イラクサの仲間・黄色いロアザウレンス、ピンクのパラバ、そして大好きな青花のノラナガイアナ。 福音館書店のたくさんのふしぎシリーズで、「砂漠の花園」と題して、この自然が見せる魔法を一冊の本にまとめた。 世界中には、色々な花園がある。。。出来ればこの目で五感を通して感じてみたい。 そんなことを漠然と想っていた。 世界4大花園というものがある。ペルー、チリ、オーストラリア、南アフリカの4ヶ所。 去年世界一周旅行をした時に、ちょうど南アフリカ・ナマクワランドの花畑を見られ、心底大自然というものに酔わせてもらった。余りの素晴らしさに、帰国後、5つの媒体でその模様を発表した。 その時に書いた文章を以下に載せたい。 『600kmの花畑』 ケープタウンをレンタカーで出発。 道はすぐにハイウェイとなり、常時120kmの世界。 郊外へ出ると、緩やかな丘陵地が広がり、牛が闊歩し、畑には麦の穂が揺れている。 所々パッチワークのように、ひまわりの花が咲き、絞りたての蜂蜜が道の脇で売られていた。 ハイウェイ7号線で北上する。 遠くの山並みは、まるで重力に逆らうかのようにゴツゴツしていた。 南アの法定速度は、通常道路が80km、ハイウェイの減速場所が100km、その他は120km。 イングランドに統治されていた名残で、日本と同じく左側走行、道路などのインフラ整備は万全だった。2010年にはワールドカップも開催されるので、更に発展してゆくだろう。 南アフリカ第二の都市、ケープタウンは、海岸線に多様な動物を見渡せた。陸からでも鯨の潮吹きが眺められ、ペンギンがよちよち歩きで海へ出かけ、アザラシやアシカはうたた寝していた。 動物層の豊かさは海だけに限らず、陸もまたバラエティに富んでいる。 数日前、僕はヨハネスブルクから北に位置する国立公園と自然保護区へ出かけ、ライオン、ヒョウ、バッファロー、ゾウ、サイ、チーター、キリン、ヒヒ、サルなどを撮影していた。 サファリをすること4日目。 遠く、木の下で何かが動く。目を凝らしても色が白っぽくて良く分からない。 手持ちの望遠鏡で覗くと、眼前の光景に息を呑んだ。 「白いライオン」 “ジャングル大帝レオ”さながらの、真っ白いライオンがムックリと起き上がり、こちらを凝視しているのだ。 距離を詰めてゆく。間違いない。ホワイトライオンだ。真っ白い生き物は、ふつうアルビノ(メラニン色素欠乏症)と疑われるが、その違いは瞳の色で識別できる。アルビノは瞳の色素も欠乏するので、血管の色が浮き出て赤い目をしているが、双眼鏡の向こうには水色の瞳をしたホワイトライオンのオスが見える。たてがみが風に揺れ、いかにも骨太という体躯だった。 そして奥の茂みからは、子ライオンの姿が。お父さんライオンよりも、もっと真っ白。純白の毛がツヤツヤしていた。ホワイトライオンは希少種なため、通常のライオンと血が混ざると、どんどん黄土色の毛並みになってしまう。子供がこれだけ真っ白ということは・・・想像したとおり、別のブッシュから、真っ白いお母さんライオンが出てきた。 僕は祈るような気持ちで、シャッターを押し込んだ。 ![]() 広い空の下、ハイウェイは直線から曲線へ。 峠を越えて、また次の山の麓へと向かう。テーブル状の山々が連なり、山肌には氷食地形が見てとれた。 南アフリカにやって来た一番の目的、それは今の季節しか現れない絶景を感じるため。 「砂漠の花園」 この自然現象が見られる場所は、世界広しと言えども、3ヶ所しかない。 一つはペルー海岸部からチリ・アタカマ砂漠にかけて。 一つは西オーストラリア、パース周辺の乾燥地帯。 そして、ここ南アフリカ、ナマクワランド周辺だった。 原住民・ナマ族が住んでいた場所を意味する「ナマクワランド」は、南アフリカとナミビアの国境沿いにある。 ケープタウンから560kmほど北にスプリング・ボックという町があり、8月,9月は周辺が花で埋め尽くされるという。 途中の村で撮影を開始。 オレンジ色のコスモスを地面すれすれから仰ぎ見ると、手を広げるようにして、太陽の光を燦燦と浴びていた。 近くにはマーモットの巣穴がポコポコと開き、岩山のてっぺんには南ア北部とナミビア南部にしか生息しないキヴァーツリーやハーフマンと呼ばれるバオバブのような木が、にょっきりと立っていた。 ケープタウンを出て7時間、今日の目的地スプリング・ボックへ到着した。夜はワイングラスを傾けながら、宿の主人ステインから色々な話を聞かせてもらう。南アフリカのベストワイナリーや、ワールドカップ準備のエピソード、そしてスプリング・ボック周辺に広がる花畑について。 霧雨の音で目が覚める。 シトシトと降り注ぐ雨を見ながら、南アフリカ産のルイボスティを啜った。 砂漠の花園は、砂漠や礫漠の乾燥大地に霧や雨の水分で、一年に一度、たった二ヶ月だけ花を咲かせる場所。夏は乾いて大地にひび割れが生じるスプリングボックの町も、冬から春にかけては、今日のような雨が降る。そしてこの水分こそが、砂漠に魔法をかけるのだ。 午前中は炊事と洗濯。昼から出かけようとすると、空に晴れ間が少しづつ戻ってきた。 町唯一のインフォメーションセンターへ行き、旬の情報を教えてもらう。3~4ヶ所のビュー・ポイントを地図に書き込んでもらい、昨日ステインから教えてもらった場所と照らし合わせると、ほぼ重なった。 まずは、スプリング・ボックから北のナバビープ村へ。 村へ近づくにつれ、マリーゴールド色のマーガレットのような花が増えてくる。 「ナマクワ・オレンジ」。 花畑は、オレンジ色が主役だった。 太陽光が大地を照らすと、オレンジは発光するかのように激しく色づく。車を降りて観察すると、マーガレットは、花びらがダブルになっていた。 ナマクワオレンジは、どんどん勢力を拡大し、大地そのものを覆ってしまう。視界の150度くらいが、オレンジ色に染まった。 大地が光り、風が通ると足元全体が揺れる。山一面の花畑は、まるで一つの生命体のように見えた。 1時間ほど撮影して、ナバビープ村からオキエプ村、そしてコンコルディア村へ。オキエプはパンジーや黄色いランの花が咲き、コンコルディアは村そのものが色とりどりの花に埋め尽くされていた。庭が自然のガーデニングになり、その上に洗濯物が干されている風景は何ともオツ。花の種類が4000種もあると言われ、深呼吸すると、空気は花そのものだった。 ![]() 翌朝、一番でグーギャップ自然保護地域へ。 空は、ポスターカラーを塗りたくったような快晴。スプリング・ボックから東へ15kmほど行った所には、15000ヘクタールの敷地に600種の花々や45種類の動物、94種の鳥、数種類の爬虫類が生息しているという。 入口のゲートを、8時に通過。7時半が開門なので、まだ観光客は誰もいなかった。 鳥の鳴き声は濃く高く、山々のずっと、そのずっと先まで花。世界は、花色の絨毯で覆い尽くされていた。 朝の香りに乗せられるように、スプリングボック(ガゼル)が駆けてゆく。尻尾の長いネズミが岩場に姿を見せ、すぐ隠れる。そして遂に、この保護区の目玉と遭遇。 ゲムズボック(英名・オリックス)が紫色の花に埋まるようにして眠っていた。乾燥地帯にしかいないオリックスが花に埋もれているなんて。前景に花園を入れ、オリックスを撮影。近づいてゆくと、ある一線を越えた所で、オリックスは立ち上がり歩き始めた。そして身軽に岩山へ登ってゆく。 歌舞伎役者の隈取のような顔に、1mはゆうに越す二本の長い真っ直ぐ伸びた角。横から見ると、ちょうど角が重なり一本に見えることから、オリックスこそが、伝説上のユニコーンのモデルだと言われている。 車へ戻り、更に奥へ進んでゆくと、車輪の轍まで花に覆われてくる。数百種類の花々が、互いにブレンドされ、上質な香りを放っていた。 動植物を色々な角度から撮影させてもらい、自然保護区を出る。そして一気に70kmほど南下した。 ここに1999年に制定された、新しいナショナルパークがある。 「ナマクワランド国立公園」 この花畑も素晴らしいよ!とステインから聞いていたので寄ってみると、正にこの世の極楽花畑だった。 1000ヘクタール全てが花となり、まるで巨大なブーケのよう。オレンジ、青、黄、ピンク、白、紫、朱色が、絶妙のバランスで混ざり合っていた。 花畑に寝転がると、受粉を助ける蜂やアブがせわしな く花の蜜を吸っているのが見え、強風が吹くと必死にしがみついている。そんな何でも無い風景までも、僕の目を釘付けにした。 一陣の風が吹く。 花々に自分を投影し、そしてまた花を見つめる。 花は体をたおやかに傾け、僕を見つめていた。 ![]() 今日は一気にケープタウンまで戻ろう。 ナマクワランド国立公園を離れ、南下すること50km。途中の町で、山が肌色に燃えていた。 あれって・・・・。 山全体が、またもや花に覆い尽くされていた。 数日前ここを通った時には、まだ真っ黒だった大地が、今は花色に燃えている。 理由は昨日の朝、降り注いだ雨。 雨が降り、陽光が差し、今日、一気に咲いたのだ。 花びらはピンと張り、生命が弾けるよう。日本の春、山菜摘みで感じる躍動感に、どこか似ていた。 行きは咲いてなかった場所も次々と開花し、ナマクワランドからの花道は、途切れることがなかった。 花はリレーのバトンを渡すように北から南へ生命を繋ぎ、その距離は全長600kmにも及んだ。 大空は紺碧色。 世界最長の花道が、アフリカ最南端・喜望峰まで続いていた。 (終) 去年はこのアフリカの花園に、父母も連れていった。 目を細め、喜んでくれる姿に、自然の奥深さを再確認させられた。 ![]() 花のいのち 僕のいのち 天と地の間に溢れるいのちたち 花に僕のいのちをみて、僕に花のいのちをみる その瞬間、僕は花に、花は僕になる 境界線はなくなり、しゃがんだ僕は大地、揺れる花は空になる みあげるいのち、かがやくいのち いま、ここに極楽浄土があらわれる ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタンをクリックお願い致します! ↓ ココをクリック! ![]() |
デミグラスソース2009-02-15 Sun 09:43
![]() どぉぉぉ~しても、ビーフシチューが食べたい。 「思ったら何としてでも、意地でも作る」。これが僕の信条だった。 チリに住んでからというもの、大好物の納豆から始まって、大根の煮付け、ソーメン、野菜の揚げびたし、カレーライス、シャケ南蛮漬け、冷やし中華、パエリアなど、工夫しながら作ってきた。けれど、ビーフシチューは、未だ作れず。 ![]() なぜなら、日本で簡単に手に入るデミグラスソースが、チリには皆無だから。 デミグラスソースの作り方をネットで探しても、2日間煮込むとか、時間のかかるものが多い。 そんな矢先、中濃ソースを使うことで、簡単にできることを知った。有難いことに、日本を出国する時に中濃ソースは持ってきていた。 今日は昼から台所へたち、まずは野菜を切り刻むところから始めた。 一通り用意が出来たら、まずはフライパンにバターを敷いて、玉ねぎのみじん切りが飴色になるまで弱火で炒める。小麦粉をふるい、もうひと炒め。そこにホールトマト、中濃ソース、コンソメ、水、醤油などを入れる。 かき回しながら、味を見る。 どうも味の奥ゆきがないので、チリ産の美味しい赤ワインをたっぷり入れ、アルコールを飛ばす。ペルー産の岩塩を入れて、しばらく煮込むと、デミグラスソースっぽくなってきた。 うん、簡単! 40分ほどでデミが完成し、次はビーフシチュー作り。 デミさえあれば、あとはいつも通り作ってゆくだけ。 フライパンに油をしいてニンニクを炒める、次に塩もみした牛肉の角切りを入れ、表面が焼ける程度で鍋に移す。鍋に赤ワインを入れ、肉をじっくり焼き上げてゆく。 フラインパンには玉ねぎ、ニンジン、マッシュルームを投入し、ズッキーニと茄子もあったので、角切りにして入れる。焦げ目が出てきたところで鍋へ。 そしてさっき作ったデミグラスソースと、水を少々。 日本では面取りするジャガイモも、チリのジャガイモは煮崩れしないので、そのまま煮出ってきた鍋に入れるだけ。これで甘みが確保されるだろう。岩塩、胡椒で味付けして、ローリエの葉っぱを入れる。 あとは、弱火でクツクツ、クツクツ、かきまわしながら待つだけ。 今夜は念願のデミグラスソース使用のハヤシライスと美味しい赤ワインになりそうだ。 ![]() 夕方、チリクワガタに変化があった。 昨日、森の中でチリクワを捕獲し、家に戻ってから段ボールにおがくずを入れた。そしてチリクワの好きな樹木・コイウェの枝を数本入れて、簡易飼育箱を作った。 コットンに砂糖水を含ませたものと、甘い桃を入れてみたが、気がたっていたのか、まったく口にすること無く、夜が過ぎていった。 そして、今、何気に箱を覗いてみると、何とチリクワはコットンに口を付けて、砂糖水を吸っているではないか。なんだか嬉しくなってしまった。 今日もこれから森の中を散策してこよう。 ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタンをクリックお願い致します! ↓ ココをクリック! ![]() |