写真家・野村哲也が贈る“地球の息吹”

アルバ博士

王墓博物館(c)

「MUSEO Tumbas Real de Sipan」
シパン王墓博物館が、ランバジェーケにある。
チクラヨからタクシーで15分、博物館の外観は幅広い真紅の建物だった。
「まるでテオティワカンみたいな色ですねぇ」と僕が言えば、
「そうだな、この遺跡もきっと深紅だったんだろうな」とひろちゃん。
手荷物検査を受けて、中へ入ると、天性のガイド・ひろちゃんの腕がなる。
「まずシパンっていうのは、100年から500年の間に栄えた文化で、土器は形状によって一期から五期に分けられる。発掘される土器の8割が四期で、五期は見たとおり細やかな彩色がなされている。一期とか二期の土器は殆ど出土しないから、本当に貴重なんだ」
渦巻き土器(c)

それぞれの時代によって、土器の口の部分が少しずつ違う。考古学者はこれを見て、いつの時代のものか判断してゆくのだ。
シパンの人たちは、アンデス原産のルクマ、アボガド、パカイ、マカ、ジャガイモ、トウモロコシ、キヌアなどを食べていたのだろう。土器に沢山の食べ物が描かれ、作られていた。昔から食べているもので忘れてならないのは、エイ。僕がチクラヨの市場でスルメだと勘違いしたものは、エイのヒレだったのだ。ヒレを乾燥させてスライスし、それをセビーチェと共に添える。それが北の伝統的なセビーチェなのだと、ひろちゃんが教えてくれたっけ。
青銅で作られたエイの神様、カニの神様から、犬、リャマ、ダック、キツネ、ジャガー、サルなどが所狭しと館内に陳列していた。
像(c)

目が止まったのは、男性と女性がセックスしている土器。
アンデスの土器の中でそれは僕にとって初めて見るものだった。
「ひろちゃん、セックスしてる土器っていうのは、各地で見られるんですか?」
「う~ん、珍しいね。ここモーチェ時代はFとかAまでしている土器もあるんだよ」
写実的。モーチェはナスカ時代やチャンカイ文化のようにデフォルメし可愛らしい土器はあまりない。
あるものをそのまま丁寧に書き写してゆく、作ってゆく感じ。
モーチェの絵(c)

そして、目的のセニョールシパン(王)の墳墓のレプリカのセクションに入ってきた。
アドべで積み上げられたピラミッドに眠るシパン墳墓の時代、日本はちょうど卑弥呼の時代だった。
王墓は階段を作らず、傾斜のあるスロープを渡すことで、それぞれの階を繋いでいた。
シパンの王墓イメージ(c)

「あっ、さっき言い忘れたけれど、死人(骸骨)とセックスしている土器もあるんだ」
「死人と?」
「そう、これはモーチェを見る時にとても重要なんだけれど、モーチェの死生観には、ちゃんと死人の世界があるんだ。リアリティの世界。死んだ人は冥界に行き、時間は連続してる。そして現世と黄泉の国は日々交流を続けてるんだ」
「そのために、メルカドで見たようなサンペドロやアヤワスカなどのドラックがある・・・と?」
「そういうこと。こっちとあっちを行ったり来たりしてる」
黄金のマスク(c)

発掘された神官のミイラには、フクロウの金のネックレスがかけられていた。
「フクロウは戦争の神様、つまり軍神だな」
黄金、銅で作られた、細やかなビーズを使った首飾りや、コンチャ(貝)の首飾り、ピーナッツ型のネックレスなどを沢山見に付けている。
王墓の中には、中央にセニョールシパン、両脇に執事と軍人、上下に女性たち、それを囲むようにリャマなどが埋葬されている。軍人の足は逃げられないように切られていた。
「王様を守るため、生き埋めだな」
このシパンこそ、好戦的な民族に思えた。
チャチャポヤスの民が、本などでは好戦的と書かれるが、行ってみて思ったことがある。あれだけの雲霧林の恵みがあって、山々に囲まれてのんびり幸せに暮らしていたのに、インカの民が攻めてきて、それをひたすら守り切ったチャチャポヤス人。インカ側から見れば野蛮人に映ったかもしれないが、僕はきっとチャチャポヤスの人々は穏やかだったと思う。インカの歴史の中で、チリ南部のアラウカーノ族やマプーチェ族と同じく、インカ帝国から命を賭けて自分たちの大地を守っただけなのだろう。
シパン→シカン→チムーと移りゆく時代。この時代こそアンデス黄金文化のハイライトだった。
セニョール・シパン(c)

王墓を過ぎたところで、埋葬品の土器の中に、左手を胸に当てているものがあった。
「ひろちゃん、こんな土器ってチャンカイにありますか?」
「うんにゃ、無いね」
「何してるんでしょうね?」
「聞こうじゃないか、このセニョール・シパンを見つけた張本人に」
僕たちは約束の時間の1時間半前に、王墓博物館に来て見学している。
13時に、セニョールシパンこと、ドクトル・アルバ博士の家で、昼食にお呼ばれしているのだ。
「なんだかこれ、てっちゃんに似てないか?」
ひろちゃんが指した先には、カングレッホマンこと、銅でかたどられた巨大なカニ男が建っていた。
似てるかどうかは分からないけれど、たまらん。 確かに惹かれる神様だった。
そして最後の部屋では、セニョールシパンとその家来たちの人形が自動で動き、ケーナやサンポーニャ、ホラ貝などの演奏があった。
時計を見ると12時50分。
僕たちは慌てて外に出て、手荷物を受け取り、レセプションへ向かった。
レセプションの女性がアルバ博士に連絡を取ってくれ、一足先にアルバ先生の家で待たせてもらうことになった。
博物館の裏手の大きな庭を歩いてゆく。道の両脇にはレッドペッパーがなり、赤い実がたわわになっている。400mくらい歩くとようやくアルバ博士の家へ到着。
表でアルバ先生の奥様エンマさんが出迎えてくれ、まだ5歳くらいの可愛い息子さんも手まねきしてくれた。
博士の息子(c)

しばらく家の中を案内してもらい、数々の名品に唸っていると、博士がいらっしゃった。
白いシャツに白いパンツ、白色で身を包み、身長は170cmくらい。顔にはトレードマークの髭が生えていた。逢った瞬間、胸が高鳴ってくる。どうしてだろう?
ひろちゃんとアルバ博士は、旧友のように握手をし、ひろちゃんが自分を紹介してくれた。
博士は早速ワインを持ってきて、グラスについでくれる。
奥様のエンマさんが、心をこめて作ってくれた中華料理を頂きながら、楽しい会話が始まった。
アルバ博士に色々と質問すると、ゆっくり考え、丁寧に答えてくれる。
シパンの建造物は、やはり真紅に塗られていたこと。
階段にせずスロープ状にするのはアドべの階段はすぐに崩れてしまうから。
チャチャポヤス族は、穏やかだったと思う。
アルガロボの森があったから、今もチクラヨ付近でカブリートが有名なことなどなど、アルバ博士の話される一言、一言に、耳を傾けた。
アルバ博士(c)

そして、博士の口から信じられない言葉が飛び出た。
「実は去年見つかったばかりなんだけれど、4500年前の遺跡が出たんだ。たぶん下の階は5000年前のものになると思う」
ひろちゃんの口がポカンと開いた。
「Vという遺跡なんだけれど、明日、連れていくよ」
あるんだ・・・・、やっぱり・・・・・。
チャチャポヤスから戻ってきた夜、ひろちゃんと話したことがある。
「なぜ北はこんなに豊かなのに、中央海岸(ひろちゃんたちのシクラスを含め、カラルなど数個の遺跡が4500年前から5000年前とC14で証明された)にだけ、5000年前の遺跡があるのか?なぜ北にはなく、中央だったのか?」
これが、今回の旅のキーワードとなった。
鳥模様(c)

そんな矢先、アルバ博士から、北にもそんな遺跡が発掘されたとの言葉。それもたった一年前のこと。ということは、中央と北は同時代に、拡大していったのか?
博士の答えは「中央海岸の遺跡にはロトンダと呼ばれるまるい祭壇があるが、北には無い。そしてピラミッドの作り方も全然違うから、北部と中央は同じじゃないだろう」だった。
話される博士の体に、空から金色の粉が降り注いでいる。目の錯覚なのか、そんな風に見えた。
ペルーという国は、何て夢のある国なのだろう?
文明が築かれたのは、最も古くてもメソポタミアから。が、実は旧大陸ではなく、新大陸から文明が築かれたのかもしれないのだ。歴史は常に変わってゆく。少なくともアンデスの歴史は今まで3000年の歴史と言われていたから、全てが大きく変わりつつあるのだ。
チクラヨを含む北は凄い。アンデスの海岸部のメッカがここに集中しているように想えた。
長男のナチョ、次男のブルノ君も食事に戻ってきて、話が尽きることは無かった。
「明日は、8時にホテルへ迎えに行くから」
ドクトル・アルバ博士は、にっこりと笑い、僕たちはタクシーに乗り込んだ。
                                    ノムラテツヤ拝
タコ男(c)
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ペルー | コメント:6 | トラックバック:0 |

南米のツタンカーメン

チクラヨの町(c)

ペルー北部に、まばゆいばかりの黄金文明がある。
名はシパンと呼ばれ、“月の家”を意味する。
今現在は5000年前の遺跡も見つかっているが、一般に学ぶアンデス文明の歴史は3000年だ。
アンデス文化=アンデス山脈を指すけれど、実は海岸が重要なのだと最近の研究で分かってきた。
プレインカ時代の海岸文化と言えば、パラカス、ナスカ、ワリなどが有名だけれど、北のチクラヨ周辺(北の海岸)には大きなモーチェ、チムーなどの帝国があった。
その中でも、最も重要な場所とされてきたのが“ランバジェーケ”。3000年前のチャビン時代から、ランバジェーケは文化の中心地として隆盛を極めた。
よくインカ帝国は黄金の文化と形容されることが多いけれど、殆どが山側ではなく北部海岸から産出された。主に砂金を集め、それを固め、黄金の文化をコツコツと積み重ねていったのだ。
チクラヨはモーチェ帝国を作り、数多くのピラミッドも建てた。
そんな中、ひとつの大発見が起こる。
モーチェの時代は、金銀が出るということで、墓は常に荒らされ、埋葬品の盗掘者が後をたたなかった。そんな中、チクラヨ在住の考古学者・ドクトル・アルバ氏が、シパンのワカ・ラハーダ遺跡を研究し、ほぼ無傷の墓を発見する。中からは黄金の防具に身を包んだ王様(有力者)が現れ、南米のツタンカーメン大発見とのニュース世界中を駆け巡った。一躍、時の人となったアルバ氏は、この王様をセニョール・シパンと名付けた。
発見者のドクトル・アルバ氏は、チクラヨ人の誇り、そしてぺルー人の誇り、世界の考古学者の憧れの人なった。ペルーで一番有名な考古学者と言えば、アルバ博士に他ならない。
日本でモーチェ文化のシパンが広く知れ渡ってないのは、やはりシカン文化の方を耳にするからだろう。
考古学者の島田泉先生が、バタングランデという場所でシカン・プロジェクトを始めた。
モーチェ(チクラヨ周辺)→チムー帝国(トゥルヒーヨ)へ時代が移行する中、空白の数百年(チムー・ランバジェーケスタイル)が存在する。島田先生はその空白をシカン時代と定義付け、発掘を進めTBSの協力のもと、遺跡の発掘に成功した。ということで、シパンとシカンは名前は似ているけれど、全く別物なのだ。
ペルー版ツタンカーメンを見つけた人、それが明日逢うことになってるドクトル・アルバ氏なんだ。と、ここまでひろちゃんが一気に説明してくれる。
「それとね、俺は確信してることがあるんだ。中米と南米はその時代、何らかの交流があったと思う。両方を繋いだ橋があったはずなんだ。チクラヨから少し北に行ったアルガロボの森は、深い森の中にピラミッドの遺跡がポツンポツンと見える。まさに去年一緒に行ったティカル遺跡と同じコンセプトだったんだ。てっちゃんは、そのへんどう思う?」
「う~ん、僕は繋がっているかどうかは疑問ですけど、中米の遺跡は一般的に荒くワイルド、対して南米は細やかでより洗練されている印象を受けます。その理由の一つは中米と南米の大地の違いかもしれませんね」
「楽しみだねぇ、明日はアルバ先生じきじきに案内してもらおう!」
ひろちゃんは、美味しそうにピスコをクイっと飲みほし、僕たちは部屋の電気を消した。
                                    ノムラテツヤ拝
ランバジェーケ(c)
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ペルー | コメント:4 | トラックバック:0 |

怪しい市場

阪根ひろちゃんが首都のリマからチクラヨへ合流。
「てっちゃん、チクラヨって黒魔術のメッカって知ってる?」
首を横に振ると「ならメルカド(市場)へ行こうよ」と行き先が決まった。
この前、スルメのようなものを見たモデロ・メルカドへ。入口はまるでインドのムンバイのよう。雑多な雰囲気と、多様な生活臭が入り混じっていた。
メルカド内に入ると、路地は細くなり、せり出すようにして露店の品が売られている。
メルカド(c)

「これってシャーマンがよく使うんだよ。アグア・デ・フロリダって言うんだけれど、お清めのときにこの聖水をかけるんだ」
僕は後ろについて、ひろちゃんの一挙一投足に、目を向けていた。
「あっ、サンペドロだ」
指をさした先には、イモとサボテンのようなものが地面に転がっていた。
「えぇ、サンペドロって、あのサンペドロですか?」
「うん、あれあれ」
サンペドロに囲まれて(c)

ペルーが誇るサンペドロを、少し紹介しよう。
3000年前から使われてきたと言われるサンペドロ。シャーマンやヒーラーが病気や中毒の治療に使うほか、様々な種類の呪術に使われてきた。サンペドロを飲むと、自分の中の感情を鎮静化し、自己肯定のエネルギーが沸きあがる。ただこれを日本に持ち込むと麻薬法にひっかかってしまう。
僕は今までこの液体を何度か見たことがあるけれど、大元がこんな柱サボテンだとは知らなかった。店員がサボテンをカットしてくれるので、ひとなめすると苦い。何でもそうだけれど、大元のものが分かると、何故か安心する自分がいる。そして、更に路地を奥へ歩いてゆくと「アヤワスカ、アヤワスカ」と声がかかる。
「どこさ?」と質問すると、部屋の奥へ手まねきされる。薄暗い小さな部屋に入ると、そこには乾燥させた白銀のつると、つるの木端を入れて焼酎漬けを見せてくれた。
アヤワスカはケチュア語(インカ帝国の公用語)で魂のつる、または死者のロープの意味。
アヤワスカは極めて苦く、飲むと吐き気をもよおす。吐いて吐いて体内を浄化するためにサンペドロ同様にシャーマンが使うのだ。これも天然の麻薬、液体は知っていたが元はつるだったとは・・・・・。
アヤワスカ(c)

サンペドロ、アヤワスカの次に目に入ったものは店先にぶら下がった茶色い物体。容姿はまさにキノコみたい。乾燥したキノコそっくりだ。カサもあるし、軸もある。
僕がそれを触っていると、店内のおばさんが叫ぶ。
仮に名前をHとしようか。「お兄ちゃん、それはHっていう精力剤だよ。天然のバイアグラだよ」
これが? 僕は以前にこれの大元の木を見たことがあった。
ペルーのリマに住む友人Mさんによれば、この天然バイアグラのHは雄と雌があるという。
雄はおばさんの言う通り、ギンギンに。対して雌を食べると、精力が落ちるという。
オスは精力増進、メスは精力減退。
こんな不思議な植物がチクラヨから少しアンデスを上がった所にあるのだ。
ひろちゃんと二人で真剣に選ぶ。これが良いかなぁ~、やっぱこれだろ、と。
店の前で(c)

ただ気をつけなければならないのが、メスを選ばないこと。
「おばちゃん、メスは?」
「これよ」
指されたHは、軸がなく、艶もなく、何だかカサがボロボロだった。
雄と雌(c)

なるほど、見た目通りだな。。。と納得し、更に選ぶ。
ひろちゃんは御満悦の一本が見つかり、ノリノリ。
僕は小さめのものを数本購入した。合わせて、横にあったタツノオトシゴがあまりに可愛く買ってしまった。
購入したもの(c)

「ラサロ、ラサロ」
現地民が口々に僕の顔を見ながら言う。初めて聞く言葉にひろちゃんに助けを求めた。
「ラサロっていうのはキリスト教の話の中でのことなんだけど、復活を意味するんだ」
そうか、僕の手にはHがあるので、みんな復活!、復活!と祝福してくれてるんだ。
「ラサロォ~!」。腕を上げて、僕は叫んだ。
うっしゃぁ(c)

婦人病に効くとされるマカをはじめ、臭い果実・ノニ、タマリンド、アマゾンの果物、魚はマナガツオやメルルーサが並ぶ。肩こりに効くとされる円柱のアスフレもあった。
アスフレ(c)

そして一軒の前で僕の足は止まった。
カカオ、それもとれたてのカカオをおばはんが選別しているのだ。
カカオ選別(c)

少し喋ってから、一つ食べさせてもらうことに。
カカオをひと噛みすると、ビターチョコレートを更に苦くした味がした。苦味と酸味をこよなく愛する僕としては、カカオのストレートな味は好みだった。
カカオ(c)

「てっちゃん、チクラヨって好きだろ? こんなに怪しいもの」
ひろちゃんの言葉に、僕は笑いながら頷いた。
ペルーの数ある市場の中で、この怪しさは、随一かもしれない。
                                 ノムラテツヤ拝
いろいろ(c)
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ペルー | コメント:6 | トラックバック:0 |

アマゾンの恵み

雲霧林(c)

2006年、世界の滝(一本滝)の落差順位が入れ替わった。
第一位は押しもおされぬベネズエラのエンジェルフォールズ(979m)、第二位は南アフリカのチュンゲラフォールズ(948m)、そして第三位に新入りのペルーアマゾンのゴクタの瀧(771m)が入ってきたのだ。
今まで地図にも載っていなかった滝がドイツ人探検家によって、雨期にだけ現れる滝として公表され、これを受けペルー政府は100万ソーレス(約3200万円)の予算を組んで、観光地化を目指すことになった。
それが、まさかココだったとは・・・・・。
チャチャポヤスの村から車で1時間半のところに、コカチンバという更に小さな村がある。
ここからゴクタの瀧が見渡せるのだ。滝フェチの僕としては、もちろん行かぬわけにはいかない。
ギアナ高地・エンジェルフォールズ直下まで行って、滝壺が無いことに感動した体験は、僕の生涯の思い出だ。
「ゴクタを見ずして死ねるか」とタクシーをチャーターして向かった。
コカチンバからのゴクタ滝は2段になっていて、雲の中から滝が流れ落ちている。エンジェルフォールズ同様に、滝壺付近は全て飛沫になり、上昇気流に乗り上へ押し上げられていた。
ゴクタの瀧(c)

これが世界第3位の滝かと感慨深く写真を撮らせてもらい、そして村の子供たちにもファインダーを向けた。女の子の姉妹なんて「写真を撮っても良いかな?」と断ってから撮影させてもらうと、大はしゃぎ。スレてなくて何とも可愛かった。
姉妹(c)

もう、チャチャポヤスから夜行バスで、チクラヨへ戻る時間が来ていた。
それにしても、チャチャポヤスでは、アマゾンの気候を存分に楽しませてもらった。
まずアマゾンの恵み・果物から書いていくことにする。
まずトゥシュパというこじんまりしたレストランで出てきたパパイヤジュースにのけぞった。生まれて2度目、もう飲めないと思っていた幻のパパイヤジュースが目の前に現れたのだ。フレッシュ・パパイヤジュースはオレンジ色のドロドロと、相場は決まっている。しかしここのパパイヤジュースは深紅だったのだ。初めて見たのがブラジルのアマゾン奥地でのこと。熟れているかの違いではなく、種類の違いによるものだった。パパイヤは5~6種類あると言われているが、アマゾンの奥地にしか無い幻のパパイヤがある。それが深紅パパイヤなのだ。
それで絞った100%ジュース。もう言葉にすることなんか出来ない。
パパイヤジュース(c)

敢えて言葉にするならば、青臭さが全く無く、濃厚で、全てのうま味成分が1点にギュッと詰まっている感じ。かと言って口の中に残るわけではなく、すっと後味は消えるのだ。何度も味の確認をし、脳裏に刻み込んだ。
アマゾンには、オレンジ色のバナナもある。小さな房の中から、オレンジ色のバナナが出てくる様は、ちょっと異様に見える。けれど味は、これまたパパイヤ同様濃いのだ。バナナってこんなに美味しいものか?と自問自答してしまうほど美味。
う~ん、こうなってくると、いつも通りやってしまう。独断と偏見で、ノムラテツヤ好きな果物ランキングを公表しよう。
果物といっても日本で食べることのできる和の果物と、トロピックな洋の果物に分けさせてもらう。
まず和から。
1位はサクランボ、2位は桃、3位は梨
場所も指定して良いのなら、サクランボはチリのタルカ産、桃は飛騨の青木さん、梨は山の上のもの。
洋の果物は激戦だ。
1位はピタハヤ、2位はマンゴスチンかライチかロンガン、3位は熟れたドリアン、マンゴー、チリモヤのどれか。
2位の3つは食べた人は分かると思うが、全部味が似通っている。違うのは感触と後味だろう。3位は決めかねる。でも、1位は9年前から、ずっと変わらず“ピタハヤ(ドラゴンフルーツに似ている)”だった。そのピタハヤも色々な種類があり、阪根ひろちゃん曰く「てっちゃんのいつも食べてるピタハヤは皮が黄色だろ?でも一番美味しいのはピタハヤの皮がオレンジ色なんだ」。
その言葉を胸に、チャチャポヤスのマーケットでピタハヤを探しに熱中した。
アマゾン地帯、それも雨季なので、可能性としては、あるかもしれないのだ。
メルカド(市場)には、沢山の果物が並べられていた。
そこにピタハヤ発見。おばちゃんに「オレンジ色の皮をしたピタハヤなんて無いよね?」と告げると、中からごそごそと出してくる。
「これのこと?」
きゃぁぁぁ、あった、あった。それもこんな簡単に。
オレンジ色のピタハヤ発見(c)

見事に皮がオレンジ色のピタハヤだった。ナイフで早速半分に切ってみると、驚くのはその色。
通常のピタハヤは中が半透明のゼリー状、触感はキウイみたい。そこにゴマのようの黒い小さな種がある。それをスプーンで掬って食べるのだけれど、このアマゾンピタハヤは中がショッキングピンクだった。
ピタハヤ種類(c)

グロイなぁ~と思いながら、食べてみると、黄色のものと比べて、よりライチの味が濃いのだ。
つまり、僕の大好きな第1位のピタハヤと第二位のライチが合わさったような味なのだ。
きょ~れつぅ~
深紅ピタハヤ(c)

アマゾンは幸豊かな場所。赤いパパイヤ、赤いバナナ、そして赤いピタハヤに感動させてもらった。
そして時間に追われるように、僕はザックを背負って、チャチャポヤスのバスターミナルに向かった。
夜7時30分発の夜行バスに乗るのだけれど、6時45分に着いてしまった。
ぼんやり外を眺めていると、バスターミナルの光に誘われてか、昆虫が飛んできて、壁に激突するのが見えた。まさか、と思い駆けよってみると、大きなカブトムシのメス。
それも背の色は、かなり渋い色。まさか、これってヘラクレスのメスじゃないよな?
姿は似ているけれど・・・・。
ヘラクレス雌?(c)

一応撮影していたら、またもう一匹が光に誘われて激突。5分間の間で、合計5匹のカブトムシのメスが、激突した。なんて豊潤な大地なんだろう? 持ち上げると、すごい力で引きはがそうとする。
ますますヘラクレスっぽい。もしもこれがヘラクレスだったら、一体いくらの値がつくんだ?
僕は一匹ずつ持ち上げ、近くの草むらに離した。やっぱり、生まれたところで生きるのが、一番良いことだと思うから。
午後7時半、海岸の町・チクラヨへ向かうために、バスは定刻通り出発した。
チャチャポヤス。この雲霧林の大地は、最高のインパクトを与えてくれた。
ありがとう、チャチャポヤス。また戻ってきますね。
                                    ノムラテツヤ拝
ピタハヤ写真(c)
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カラヒア遺跡

ホテルのキー(c)

ルーヤからカラヒア村までは、雨でぬかるんだ泥道を1時間ほどの行程。
カラヒアの語源は、カララハという鳥がこの周辺に沢山いたから。カララハが転訛してカラヒア村、そこにあるからカラヒア遺跡となった。
カラヒア村で車を止めると、オレンジ色の看板にKarajia 1km(カラヒア 1キロ)と書かれていた。畑の脇道を降りてゆく。ジャガイモが紫色の花を付け、土手には赤い花や、オレンジ色のランが可憐に咲いていた。
急な坂を1キロほど降りると、茅葺屋根のカラヒア遺跡の入口へ到着した。
カラヒア入口(c)

そこから山の斜面に這いつくばるように歩いてゆくと、巨大な岩壁が目の前に迫ってきた。
「あったぁ~、アレだ。アレ!」
岩壁の中腹に、僕が恋い焦がれていた6体の墳墓たちがすっと立っていた。
カラヒアの壁(c)

「カラヒアの空中墳墓」がついに姿を現したのだ。
大きいものも、小さいものも、顔が半分もげていたり、コミカルなペインティングをされていたり。
実物を見た途端、僕はイノキと口走っていた。そう、顎をとがらせたイノキ人形なのだ。
イノキの視線は、天を向いていた。2体の頭上には、シャレコウベが乗っかっている。
ガイドに聞くと、墓標を意味しているのだそう。
本当かなぁ~、何か別の意味があるような気がしてならない。
男も女も子供も死んだら、こうして祀られたという。チャチャポヤス文化の時代には、一体どれほどのイノキ人形があったのだろう。このイノキ人形は、別名ペルーのモアイと呼ばれるが、こちらの方が断然可愛いと思うのは僕だけだろうか?
カラヒア全貌(c)

ただ、モアイはそれぞれの部族闘争の末に倒されるという悲劇だったが、こちらはお墓なので、埋葬品の盗掘が後をたたなかった。この6体に至っても、盗掘者の被害にあっていた。
お腹の部分に埋葬品と一緒に死者が入れられていたのだという。
岩壁の前は、深い谷となり、恵みの畑がある。
墳墓前の畑(c)

なぜこんな所に空中墳墓は作られたのだろう? 
答えは単純なのかもしれない。もしも僕たちと同じく死者は天へ向かうという思想を持っていれば・・・・。
人間は体という乗り物を脱ぎ、魂だけになり、天へ昇る。
天と地を結ぶ役割を、天の魂と、地のイノキ人形で繋げているのではないか?
繋がりこそが、この村の人々を守る約束になっているのではないか?
カラヒア空中墳墓を撮影しているとき、タイミング良くアマゾンに住むコンゴウ・インコが飛翔してゆくのが見えた。よく見てみると、このイノキ人形は絶壁から顔を突き出し、今にも飛びそうだ。
その姿を見ながら、僕はコンドルを連想した。
両翼3mもあるコンドルは、羽ばたくということを殆どせずに風を捕まえて旋回してゆく。なので、よほどの事が無いと地上へ降りてこずに、夜になると断崖絶壁の棚で眠る。イノキ人形も、棚で眠っているように見えた。
望遠レンズ、広角レンズ、標準レンズと画角を変えて撮影し、1枚1枚シャッターを押す。
空は生憎曇っているが、少し瞑想すると、あと少しで晴れてくるイメージが浮かんできた。
10分後、雲は見事に割れ、陽光が差し込んできた。
墳墓西面(c)

方位を測ると、このカラヒア空中墳墓は、朝の光だけ当たるように設計されていた。
「初光吸引」
撮影していると、墳墓と自分の境が少しずつ縮まってゆくのが分かる。
あと少し、あと少し。
上空はみるみる青くなり、一度は僕の下にも太陽の光が降りてきた。
「有難う。今日も最高の光景を見せてくれて」
そして頭を下げた途端、鮮烈な、細やかな気が僕を巻いた。身をそのエネルギーに、ただ任せる。そして顔をあげると、墳墓が黄金に輝いていた。
盗掘者たちに、ミイラや埋葬品を取られたけれど、墳墓は今も静謐なエネルギーで周辺を見守っていたのだ。体はその光に反応したのか、急に涙があふれ出てきた。
風景が滲んだまま、一枚シャッターをきった。
カラヒア空中墳墓(c)

そして、もう一度頭を下げた。
「今日、ここに来させてもらえたことに、出逢わせてくれたことに、全ての縁に感謝します」
体を起こすと、墳墓はもとの墳墓に戻っていた。
僕はカメラをしまい、ザックを背負った。
墳墓直下の岩壁の色(c)

帰り道は、行きとはうってかわって、太陽光線が大地を照らし、トウモロコシの葉がまばゆい光を反射させていた。牛を連れたアマゾンのおじいちゃんも、若者も朗らかな良い顔をしていた。
牛使いのおじいちゃん(c)

僕たちは、生けとし生きるものは、全てと繋がり、黄金の光に包まれながら生きている。
日々に埋没している時、僕たちはその光の存在をつい忘れてしまう。金の光に抱かれていること、大自然によって今一瞬を生かされていることを。
カラヒアが僕に喝を入れてくれたのだろう。
無垢なるエネルギーに包まれる静謐なる谷。それがカラヒア遺跡の真骨頂だった。
憧れの地は、僕の想像を遥かに超えていた。
若者たち(c)

ここにはまた戻ってくる。
そう確信して、僕はカラヒア遺跡を離れた。
PS, 最初の写真は宿泊したホテルのカギです。可愛いでしょ!
                                    ノムラテツヤ拝
帰り道(c)
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