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写真家・野村哲也が贈る“地球の息吹”

夢のソフト

ついに、こんな時代がやってきた。
僕たちは今、革命の最中にいるのだろう。
インターネットが世界中を席巻し電話が無料なるソフト「スカイプ」が現れた。
僕がチリに住み始めたのは、一年と少し前。その時に調べたことが、日本のテレビを含めた映像部門の事だった。
情熱大陸や、世界遺産などが、もしチリで見られたらどれだけ良いだろうなぁ~と思って。
今住んでいる森のキャビンにはテレビは無い。というかあまりに森すぎて、現地のテレビ番組も見られない笑える環境。衛星を使えば問題はないけれど、そこまでする必要性もないように思えた。そこで調べていくうちに、ソニーのロケーションフリーというソフトに行きついた。
まずは2~3万円のロケーションフリー機器を買い、岐阜の実家(日本国内ならどこでも可)のテレビにそれらを接続する。そうすると世界中何処からでも、日本で見られる番組を、自由自在に見られるというものだった。
更に調べてゆくと、その機器はある程度のネット速度(上り下り300kbps以上)が必要らしい。
ドキドキしながらキャビンでのネット環境で試してみた。
森のキャビンの速度は、悲しいことに早くても100kbpsが限界だった。
チリの首都サンチアゴは余裕で300kbpsを越えるが、ここはいかんせん田舎。というこで、日本の番組を見る夢は、無残に散った。が、数日前、友達から以下のURLを紹介してもらった。
http://www.keyholetv.jp/
スカイプ以上の衝撃だった。
ここのページから無料ダウンロードすると、日本の番組が何と無料で、さらに100kbps程度のロースピードで、問題なく見ることができるのだ。
NHKは勿論、フジテレビやTBS、テレビ朝日など、何でも見ることができる。
外国に住んでいる人にとって、まさに革命だと思う。
お金を出してNHKだけ見ている海外居住者は星の数ほどいる。が、この無料ソフトを使うと、民放までが無料で見られてしまう。
ただ、難点は画像が少し荒いこと。あとはリアルタイムで見られるので、日本との時差の関係だろう。海外に住んでいる人、海外に旅に出かける人、ぜひ、一度試してみて下さい。
チリは2月1日の夕方5時、日本はちょうど12時間後の2月2日の月曜日、朝5時。今、NHKの番組をリアルタイムで見ている。
う~ん、凄い時代になったもんだ・・・・・・・
本物は、必要なものは、全て無料になってゆく。 
                                     ノムラテツヤ拝

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パタゴニア | コメント:2 | トラックバック:0 |

氷河隊

1月中旬から始まった氷河隊も2月1日に無事に終わりました。
今回集まったのは総勢18名。
最初は意識し合っていた隊員たちも、最後はまるで家族のようにまとまり充実した旅となった。ここぞという時に天気は晴れ、巨大な氷河が崩落し、氷河上をトレッキング。
年齢は下は20代から上は60代までまんべんなく集まり、チャルテンでのトレッキングも、山へ近づくにつれ、雲の隙間から姿を見せてくれた。
チャルテンにしても、ブエノスアイレスのタンゴショーにしても、どちらもチラリズムの世界を堪能させてもらい、そのエロティックさに、僕を含め、男性群の顔はデレデレだった。
阪根ひろちゃんが急遽キャンセルとなった旅だったけれど、日を追うごとにその影響が出た。
最終日の前日には、さすがに体が悲鳴をあげ始め、倒れそうになったけれど、体をだまし、だまし、最終日までもたせることだけに集中した。
昨夜キャビンへ戻り、今は森を駆ける涼しい風に、身を任せている。
やっぱり、僕はこういう場所が、こんな静けさが好きなんだなぁ~としみじみ想う。
みんなと一緒に楽しむ旅、自分を内観しながら進む日常、その両方をバランスよく楽しんで行きたい。また少しずつ書いていくけれど、とにもかくにも、無事に氷河隊はフィナーレを迎えた。
みなさんが健康で、楽しんでくれたことに、心から感謝している。
僕はしばらく、森の中で瞑想しようと思う。
                                   ノムラテツヤ拝

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パタゴニア | コメント:0 | トラックバック:0 |

ワインの底力

ワイン。
世界中に数えきれないほどあるワイン。
一番最初にワインと出逢ったのは、僕が小学生のときだった。
おとうが「てつや、これ、美味しい飲み物でワインって言うんだ」と教えてくれた。
名前は忘れもしない「マドンナ」。
ドイツのレイトハーベストワイン、またはリースリングのような甘めのワインだった。
甘党のおとうは、それを一口飲んで、幸せそうに眼を細めた。
高校生になると、一口、二口と試飲してみる機会が持てるようになる。マドンナの口当たりの良さに、僕のワイン人生は、白から始めることとなった。
大学生になっても、最初の頃はマドンナばかり。やはり習慣というのは恐ろしい。
酒屋さんに、ワインは沢山ある。けれど何が何だか分からないから、やっぱり知ってるマドンナを手に取ってしまうのだ。
そんな僕に、ワインを飲ませてくれたのが「チリ」という愛すべき国だった。
今は有名になったチリワインも、十数年前は、まだマイナーな国だった。
チリ産のワインは、ストレートが主だった。
ストレートとはブレンドされてないもの。
ウィスキーのモルトで言えば、シングルモルトにあたる。
赤ワインならカベルネソービニオン、シラー、メルロー、カルメネール。
アルゼンチンはそれに加え、ピノノワール、マルベックなどが有名だ。
最初は手当たり次第飲んでみる。カベルネならカベルネだけ、シラーならシラーだけ。
すると、味の基本となる幹が、舌で分かってくるようになる。
カベルネの味、シラーの味、メルローの味など。
そして、チリやアルゼンチンワインにのめり込みつつ、世界中のワインも少しずつ手を広げていった。アメリカのカルフォルニアワイン、オーストラリア、ニュージーランドのオセアニアワイン、フランス、イタリア、スペインなどのヨーロッパワイン、イスラエルのヤーデン始めフルボディのワインなど。
そして忘れてならないのは、南アフリカだろう。
日本にチリワイン、アルゼンチンワインが輸入されると、あっという間にワイン業界を席巻した。
安く美味い。これが両国についたイメージだった。
とくにチリのカベルネ、略してチリカベは美味い・・・・と。
確かに美味しかった、そしてチリ国内で飲む場合は更に酸化防止剤が入ってないため二日酔いが無いという利点があった。しかし、ここ2~3年で、そのイメージが僕の中で覆されつつある。
チリの忘れ去られていた白ワインが、圧倒的に美味しくなってきているのだ。
白はシャルドネとソービニオンブラン(シャブリ)に大きく分けられているが、ソービニオンブラン種に、この頃惹かれる自分がいる。
この種は辛口が多いため、一般的に海鮮ものと一緒に食べると更に美味しくなると言われている。例えばカキ。これはシャルドネで合わせても口の中が甘ったるくなってしまってペケ。対して辛口のソービニオンブランだと、口の中が綺麗に洗われる形になる。そして食欲が増す。
焼肉のときに、日本酒を飲むか、ビールを飲むか、それくらいの差がある。
そして、ついに、チリで今現在ナンバーワンのソービニオンブランの白ワインを見つけた。
残念ながらまだ日本の大手企業は輸入に手を出していないが、チリ南部、アントニオバレーで作られている『カサ マリン』というワイナリーが、かなり熱い。
興味のある方は以下のホームページをどうぞ。
www.casamarin.cl
太平洋からたった4キロだけ内陸に入ったアントニオバレーで、家族経営で大切に作られているワイン。緑色のボトルに、シンプルな文字が浮かぶ。
「CASA MARIN」
ソービニオンブラン種は2種類あるが、カルタヘナではない、アッパークラスの添付写真のものを選ぶ。最近流行りのスクリューカップを回すと、中からシュッとガスが抜ける。注ぐと、シャンパンのように気泡が浮かびあがり、部屋中にマスカットの香りが立ち込める。
やはりこれが、ソービニオンブラン種の醍醐味だろう。
風景は薄いグリーンな感じ。
グラスを左回転させて、匂いをさらに立ち上げて、嗅ぐ。グリーンマスカットと、微かに甘い香りがする。口を付けて、舌にうえでコロコロと回してみると、最初の味はやはりマスカット。そして次に押し
寄せる波が何とピーチ、桃の香りが鼻から抜け、そして最後は白コショウのような少しスパイシーな味。そしてサッと切れる。シャルドネのように、舌にべったり付かないところも、好感がもてた。
ワイングラス一杯を飲みきる頃には、僕は太鼓判を押していた。
今まで飲んだ白ワインの中で一番美味しいかも。
フランス、スペインの高価な白ワイン。
ニュージーランドの勢いある白ワイン。
南アフリカのブレンド白ワイン。
どれも美味しいけれど、カサマリンの美味さは、完全に突き抜けていた。
この味で、この値段か?
19000チリペソ。
ドルに直すと30ドル、日本円では2700円ぽっきりだ。
多分この味のレベルをヨーロッパに求めると、軽く200ドルは下らないだろう。
それほどの味が、チリのアントニオバレーで生産されているのだ。
調べてみると、やはり2006年にはワイン&スピリット部門で白ワインの最高点の95ポイントをマークしていた。
これからこのワイナリーは、確実に世界各国の賞を総なめしてゆくのだろう。
あと数年後には一本100ドルとか200ドルの値段がついてしまうのが悲しいが今、このワインを見つけられた幸福に感謝せずにはいられなかった。
世界最高の白ワインが、チリにある。
小さな輸入業者が、日本へも入れているので、もしも縁のある方は飲んでみて下さいね。
ソービニオンブラン種は、赤ワインと違い、年代が新しければ新しいほど美味ですから。
今、目の前にカサマリンが。
今日も、マスカットの香りが部屋中に炸裂する。
                                  ノムラテツヤ拝 

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幸福の2冊

庭一面にタンポポの花が咲き誇り、少しだけ肌寒い風がビュワワーっと音をたてて西から東へ流れてゆく。
遊びにきているチャチャは日陰で昼寝し、オソルノ山は輪郭をクッキリ浮かび上がらせている。今年に入って、縁起の良い初夢を見たことは書いた。あまりにもハッキリと覚えていて、今もちょっと気味が悪いほど。
富士山から鷹が見えるのは分かるが、茄の気球はないだろと突っ込みたくなる。
正月は餅を食べ、もっぱら読書をして過ごした。
読んだのはイギリス人旅行作家であり、大好きなブルースチャトウィンの友人、レドモンド・オハンロンが書いた『コンゴジャーニー』と、沢木耕太郎さんの『凍』だ。
コンゴジャーニーの方は、政情不安のコンゴ共和国へ行き、幻の恐竜ムベンベを探す壮大なるノンフィクション。何より目を奪われるのが、まだ未開発のコンゴの森の豊饒さ。コンゴとザイールだけにしかいないゴリラをはじめ、珍獣、幻鳥など、歩くだけで沸き立ってくるような高揚感があった。
数か月前、ゴリラが数百匹生息する森がコンゴで発見されたのは記憶新しい。
そして、この本を素敵にしているのは、何よりもレドモンドの風景描写能力の高さ。起こったことだけを正確に描写し、飾る言葉を全て省く。
冷徹に物事の本質を射抜く視線、そして溢れる好奇心の先に起こる奇跡。あることだけを訥々と正確に描写するのは簡単じゃない。簡単な言葉で書いてしまえば済んでしまう一行を、オハンロンは一息一息 自分の息をも観察するように書き記してゆく。後から知った話だが、オハンロンは記憶力が良いのはもちろん、あったことを常にノートに書いて書いて書き留めてゆく。
コンゴジャーニーは上下巻で、最近アフリカに興味が向いている僕にとっては、うってつけとなった。
そして沢木さんの凍は理想を見せつけられたようなショックを味わった。
凍と書いて「とう」と読む。
天才クライマー、山野井夫妻の生死をかけてヒマラヤの高峰・ギャンチュカンでのクライミングストーリー。山野井さんは去年、奥多摩で熊に襲われ鼻をもげながら顔面に70針縫ったことでもニュースになった。
アナウンサーが「大変でしたね?」と声をかけると山野井さんは「ただ、鼻がもげただけや」と呟いたという逸話も。
日本におけるフリークライミング、またはソロクライミングと呼ばれる部門で、天才と言われた男が2人いる。一人は今も天才という名を欲しいままにし、世界最高のクライマーと言われる平山ユージ。そしてこの本の主人公の山野井泰史さんだ。
パタゴニアのチャルテン(フィッツロイ山)の冬季単独初登頂に成功したのも他ならぬ山野井さんだ。
奥さんの妙子さん、この人もまた遠藤由香さんと共に日本の女性フリークライミング界を背負ってきた人。
山野井夫婦は、ギャンチュカンを目指し登ってゆく。が、アタックキャンプを過ぎた辺りで妙子さんが体調不良により、それ以上登れなくなってしまう。泰史さんは、ひとり頂上へ上がるが、ここから天候が一気に崩れ、命からがらアタックキャンプへ戻ってくる。
翌日からは更に天候は荒れ、何度か雪崩にあい、それでも夫婦はどちらか調子の良い方が相手を助け、夜はマイナス40度の中、ビバーク(岩に張り付いて眠ること)を余儀なくされる。
翌日にも2度の雪崩に逢い、また夜は体力を振り絞ってビバーク。
世界にクライマーと呼ばれている人は星の数ほどいるが、この過酷な「凍」の状態を「闘」できたのは、二人の技術の高さ、メンタル部分で決して諦めなかった強い心、そしてその両方を支えたの「夫婦の絆と愛」だった。
本を読み終えたとき、僕は2つの事を感じずにはいられなかった。
「人間はこれほどまでに強く、美しいものなのか。これほど力があるものなのか」
そして「これを聞きとりをしながら、インタビューをしながら一冊のストーリーとしてまとめ上げる沢木
耕太郎という人は、なんと稀で非凡な才能を持っている人なのだろう?」
凍にいたっては、僕は3度も読みながら泣いてしまった。
まさに人間賛歌が、この本にぎっしり詰め込まれていた。
本って素敵なものだと想う。
一冊の中に登場人物、著者、読者が入り組むことによって、無限の広がりが出てくるのだから。
「僕もこんな本を作ってみたい」 
心の奥から力が沸々とわいてくるのを感じた。
                                   ノムラテツヤ拝 

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人生の旅

行きたいところへ、行きたいときに、行ける幸せを想う。
この世に生を受けて間もなくの家族旅行、10歳からの一人旅、18歳からは日本国内と外国をずっと旅してきた。
転機は3度あった。
が、まずは生まれてすぐに、沖縄や八丈島へ連れていってくれたおとうとおかあに感謝したい。
写真を見せられて「てっちゃんは、行ったのよ」と言われても、全く記憶にない僕は、いつも「なんで大きくなってから連れて行ってくれなかったの?」と頬をふくらませた。
でも、今なら想う。
記憶に刻まれる前の旅が、どれだけ細胞に刻まれているかってことを。風景は、記憶されているのだ。それは脳を通して思い出せないだけ。でも体はハッキリと五感を通して覚えている。その証拠に、沖縄で漁師から、今しがた上がったばかりの巨大なボラを持たせてもらった時の、生ぬるい、ぬめりを帯びた感触は、目を瞑ればすぐに思い出せる。
記憶が定着するようになってからも、よく家族旅行に出かけた。
土日(週休二日ではない時代)だけではなく金曜日を休むこともあったので、おかあは大変だったと思う。毎回、国道脇の公衆電話から、朝の8時半前に、おにい、おねえ、僕の担任の先生へ休みの申請をする。背後にトラックが走っていく中、「もうしわけありませんけれど、てつやが風邪をひいたので、休ませてください」と。
担任も分かっていたが、黙認してくれた、良き時代だった。行き先はもっぱら長野か山梨、時には尾瀬や谷川岳といった関東方面まで遠征した。おとうは文句のひとつも言わずに、僕たちのために、高速道路のない時代に、国道だけを走り往復した。おとうが疲れてやしないかと、おにい、おねえの番が終わると、僕も肩たたきをした。
車の振動で眠ってしまい、起きたときは夜。まっすぐ前を見て運転するおとうの広い背中は忘れられない。
10歳になると、野村家は一人旅に出させられる。
僕が最初に選んだ場所は、飛騨高山と飛騨古川。僕はここで、1度目の転機を得ることになる。10歳の僕は、夕食をユースホステルでとることにしていた。ユースホステルはセルフサービスで、食堂のどこで食べるか、そして配ぜんも全部自分で決定しなくてはいけなかった。初めての経験に、どうして良いか分からないでいると、食堂のはじから声が聞こえた。
「おい、ぼうず、こっちに来て一緒に飯食おう」
27歳のお兄ちゃんが手を振っていた。
僕はモジモジしながら、お兄ちゃんと話すことに。
「ずいぶん小さいけど、家出か?」
「ちがいます、一人旅してるんです」
「そっか、そっか、ごめん、ごめん」
それからお兄ちゃんは、日本には北海道や九州の美しいところ、世界にはバイクで走り抜けたアメリカの大自然やヨーロッパの整然とした町並み、南米やアフリカの秘境の話などを、10歳の僕にも分かるように教えてくれた。
ドキドキした。
ワクワクした。
今、僕の生きている世界だけが、地球じゃなくて、そんな面白い別の世界があるんだ。
翌日、僕のあたまをくしゃりとつかんで、お兄ちゃんはバイクのエンジンをかけた。
「今度は、外国の何処かで、フラッと逢えたら良いな」
遠くなる背中を見つめながら、僕はいつまでも手を振っていた。
10歳からの旅は、僕に様々な自信をつけ、不思議さを感じさせてくれた。電車をひとつ乗り遅れるだけで、出逢う人が全て変わる。当たり前だけど、その現実が不思議でしょうがなかった。
旅は人を成長させると言うけれど、僕の人生で、あのときが一番伸びた時だったのかもしれない。自分で決めて、自分で旅を作り上げていたと思っていたあの時代が。
10~18歳までは毎年、休みになると、好きなところを旅した。
飛騨高山を皮切りに、木曽福島、神戸、富士、信州各地、青春18切符を片手に時刻表とにらめっこして旅を続けた。
18歳になると、僕の視線は自然に外を向いた。27歳のお兄ちゃんが言っていた世界が、一体どんなものなのか、見たかった、知りたかったのだろう。
外国の人たちと話し、何を考えているのかを感じたいと思った。
大学在学中は勉学というよりもバイトに精を出した。そしてお金が貯まれば、すぐに外国へ出た。
アメリカ一周をして要領をおぼえ、ニュージーランド、ネパール、ケニア、タンザニア、そしてアラスカ。
ここで第2の転機が起こる。心の師である星野道夫さんとの出会いがそれだ。星野さんの人柄と、男らしさ、そして何よりも少年らしさに強く惹かれた。そして生と死の境をいつも考える姿勢に、僕は虜になった。
あまりにも背中が格好良かったからか、僕も星野さんと同じ職業を選ぼうと決めた。
大学を卒業するときに、迷いはあった。大手旅行社の内定をもらったけれど、感覚として何かが違うような気がした。ちょうどその時は大学4年の夏、忘れもしない8月8日、星野さんはロシアのカムチャツカで、熊に食べられて天へ召された。それによって、僕はアラスカから遠のくことになる。僕はアラスカが好きだったけれど星野道夫さんが住むアラスカを愛していたのだ。
「好きなこと、今、自分に一番興味のあることをしよう」
その結果が、お金を貯めての南極行きだった。
ペンギンに逢い、南極の蒼い大自然に圧倒された。一度では飽き足らず2度目は季節を変えて行く。
ペンギンの赤ちゃんの愛くるしさに、星野さんがいなくなったショックが、少しずつだけど、確実に癒されていった。
「水」をどうしても研究したくて、旅行社をけって、大学院へ。
その間も旅をつづけ、24歳で大学院を卒業した。
その頃になると、迷いなく写真家の道を志すようになっていた。
周りの友達は、社会人になってゆく。けれど、僕はひたすらバイトの日々。久しぶりに同級生の友達に逢うと、もうみんな明日のことを気にしながら生きていた。もう僕のいる場所が、そこには無かった。
そのときの僕は、自分を表現する、体当たりする場を求めていたのだろう。南極に行く時に通ったチリとアルゼンチンに何度も通い、やがてそれは南米各地へ広がってゆく。
あの時から決めていた。僕はこの大陸の一番美しい場所に住むと。
パタゴニアは、美しかった。が、これよりももっと美しい場所があるかもしれない。その不安と好奇心を満たすために南米各国に足を踏み入れた。
ギアナ高地、ブランカ山群、コトパクシやチンボラソ山(エクアドルの最高峰)、パンタナール、コロンビア奥地のサン・アグスティンや失われた都のシンダー・ペルディーダなどを旅し、僕は初志とおり、パタゴニアに住むことを決めた。それが29歳のとき。けれど、いざ移住を試みてみると、仕事や私事が重なり、結局行けず仕舞。
そして30歳になると、周りの人から言われるようになる。
「てっちゃん、人生、そろそろ固い仕事に就いたら」
「趣味と仕事は違うよ。写真家みたいなヤクザのような仕事は長くは続かないよ」
『そんなことないですよ』と笑って抵抗するものの、あまりに沢山の人から一気に言われると、自分自身が見えなくなり、気持ちがぐらついた。
今のままじゃダメなのか? 人生はもっと固くあるべきなのか?
そんな風に悩んでいる時期に、扉を開いてくれたのが、ひろちゃんの友人、白根全ちゃんだった。ぜんちゃんは今も何で稼いでいるのか分からない自由人。独身で6月になるとアラスカにサーモン釣り、10月になるとフランスのシャトーでブドウ踏み。今まで行った国は160ヶ国以上。
「今までの一番のエピソードって何ですか?」と質問すれば「自分が、今、生きていること」と言える、“風のような人”だ。
ぜんちゃんに悩みを話すと、アドバイスしてくれる。
「そう出来ないと思うヤツラから、出来なくなるんだよ。人生に形なんて無いんだから」
僕のしたい道、それを体現されている人が、目の前にいた。
これが3度めの転機だった。
体の何かが、パチンと弾けたような気がした。
「自分の好きなことを好きなだけしよう。死ぬまで全力で遊ぼう。
その延長に、周りの人の幸せを探しながら」
その人がそこにいるだけで笑いがおき、花が咲く人がいる。ぐいぐい惹きつける人がいる。反対に風のように生きる自由人もいる。
僕の理想、進んでいきたい道は、その両方の道を融合させた新たな道。
前者はまさにペルー在住の天野博物館事務局長の阪根博。
後者はぜんちゃん。
2人の素敵なところを、自分の体に取り入れ、そしてあとは全力を出し切って生きたい。
32歳で結婚し、世界一周。
去年の11月からパタゴニアに住み始めたのも、その理想の延長上だった。
『人は帰る場所があるから旅に出る。人生こそが旅だ!』と、よく人は言う。でも、人生がどんな旅になるかは、結局分らないのだろうか? いや、多分そうじゃないのだろう。
受け取り方によって、どのようにでも自分は変われる。柔軟さがあれば、やっぱり死ぬまで好きな事をして生きていけると思う。
夢はかなう。想えば叶う、とかじゃなくて、想ったとおりにしかならないのだ。
想い方に、肯定、否定は無い。強く念じた想いが、現実を作り上げるのだ。
借金におびえる人は、借金をさらに作り上げ、楽しいことしか念じない人は、さらに楽しいことを連れてくるように。

バスに乗っていると、言葉が溢れることがよくある。書きたい衝動が抑えきれなくなるときがある。自分の中の想いが噴出することがある。
これも、原始脳が、揺れるという常動運動で活性化されて繋がっているのだろうか?
外は闇がびっしりと広がり、夜空には星が瞬き始めた。
光があるから闇が目立ち、闇があるから、光の存在が浮かび上がるように、僕たちは愛する周りがいてくれるお陰で、この世に立たせてもらっているのだ。
誰が欠けても、僕は生きていない。
そんな奇跡の星に手を合わせる。
合掌。
                                ノムラテツヤ拝    

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