たまゆら2009-03-08 Sun 03:31
![]() 少し前のブログで、オーブの写真をアップした。 別名たまゆらと呼ばれるこの現象を、ウィキペディアで調べると“写真に写り込む小さな水滴のような球体”と定義されている。 原因は「雨粒にフラッシュが当たる」または「埃やチリの多いところにフラッシュの光が当たる」などが考えられ、僕も聞かれた場合はそう答えていた。 あの事件が起こるまでは・・・・・ その時のテツヤ通信に書いたものを下記に記す。2006年8月7日 題名は「初ペトラ」。 ローカルバスで首都アンマンからヨルダン王国を南下する。 総勢20名くらいのバス。発車してすぐにカセットのボリュームが上げられ、アラビア音楽がけたたましくなった。クラクションがひっきりなしに押され、それぞれが罵声を浴びせている。バスチケットは3ディナール(400円)。乗車時間は3時間だった。向かう先はワディムサ。ヨルダン一の観光地「ペトラ遺跡」のベースタウンだ。昼の2時過ぎにワディムサへ到着。 ![]() ホテルを値切り、プール付きのホテルを安宿同然の値段まで下げる事に成功した。 が、この町で、僕は大きな打撃を何度も食らうことになる。一つ一つの小さなスーパーやお店へ行くが、一向としてビールが置かれていない。「エフェス」。トルコのビールだ、と思って近づいてゆくとそれはノンアルコールビールだった。バイブル(聖書)ビールなんていうノンアルコールビールもある始末。僕は生まれて初めて、ビールが飲めない、完全にシャットダウンしている村に来てしまった。 その後、少し遅いランチをコカ・コーラと共に取り、キンキンに冷えた室内プールで、バシャバシャと泳いだ。 部屋に戻り、ロンリープラネット・ヨルダン編を読んでいると、ナイトペトラと書かれた文字に目が止まった。一週間に一度だけ開催される夜のペトラツアー。今日は・・・・運命の木曜日。 内容は、夜のペトラを、入り口のゲートからエル・ハズネ(以下トレジャリーとする)まで歩く特別ツアーらしい。 よっし、参加しよう。 初めてのペトラが、夜からとは、ナカナカおつなもの。 夜8時30分。 僕はペトラの入り口にいた。 空からは半月が煌々と大地を照らしていた。 「ハーフムーン ペトラ」 何だか歌の題名になりそうな、夜になりそうだ。気温は25度くらいだろうか、夜風が心地よかった。ナイトペトラ用のガイドと出逢い、中へ入ってゆく。12ディナールのチケットをみせて、ついに憧れのペトラ核心部へ。その瞬間、風景が変わった。星空が多くなり、半月の力が強くなったような気がした。 道の両脇には藁半紙の袋で作られた中にキャンドルが入れられ、火が灯っていた。 キャンドルの道が、どこまでも続いている。 後ろを見ると、ワディムサの町明かりが眩しい。 シルクのような、すべやかな風が吹き、馬のウンチの匂いがした。 月明かりは、奥に行けば行くほど明るくなり、月影がユラユラと揺れた。 写真を撮る。フラッシュがたかれ、僕は映り込んだものに、息をのんだ。 それはオーブ、たまゆら、コダマと呼ばれるものだった。天から使わされたまあるい玉のようなもの。気の世界で、それはコダマと呼ばれていた。聖地とかに行くと映ることがあるけれど、気にせずにいた。紀元前1000年にはエドム人、そして6世紀頃はナバタイ人が主役となり、この聖地は栄えた。 半月、星、岩峰に月光が当たり、蒼白く浮かび上がっている。 キャンドルの道は、一本に続き、僕たちを案内してくれている。 夜のペトラは、絹の海のようだった。 気の先生に教えてもらった方法でエネルギーを感じてみると、グングンと手元に集まってくる。 セルフタイマーで写真を撮る。 まずは僕のいない場所で一枚、次にその場所に自分が入って気を目一杯集約する。 ![]() カシャン。 シャッターが切れ、映り込んだ写真を見ると、僕を中心に赤リングと白金色が全面に写った。まさにビックバンのような写真だった。 ![]() 次に手だけを撮ってみる。 まずは何もしないで手を撮ってもらうと、3つのコダマが写った。 ![]() そしてもう一度ペトラの岩から周りの遺跡から、気を集めて、撮影。 次の写真には、100個くらいのオーブ(たまゆら)が写っていた。 ![]() オーブとエネルギーは何か関係があるのだろうか? それともたまたま? そこから道は、シーク(岩にはさまれた狭いところの意味)という場所にさしかかる。 右にも左にも巨大な30m以上の岸壁。その間の一本道を歩いてゆく。 ![]() 夜の闇は更に根源的になり、見上げると、岩と岩の間から星が濡れていた。 シークに入ってから、気がどんどん強くなってくる。 それも気持ち悪くなってくる気だった。どこまで強くなるんだろう、と闇をかき分け歩いていると、突然軽くなる場所が現れる。そしてまた重い場所、軽い場所と連続してゆく。 僕は「気」と「風」の関係を想っていた。ペトラの気は、全体的に重い気がする。それは夜だからなのかもしれない。けれど、風の通り道は、軽く感じるのだ。まるで重い気が、そこに留まらずに流れてゆく感じ。軽い気場では、常に緩やかな、涼やかな風が吹いていた。 重い気場では、頭に痛みが来ることもある。締め付けられるような、まるで自分が孫悟空にでもなった気分だった。細長い大回廊を歩いてゆくと、キャンドルに照らされたトレジャリーが岩の透き間から見えてきた。トレジャリーは崖を削り、彫り抜いた神殿風建造物。幅30m、高さは45mもある。 紀元前1~2世紀のものだが、映画「インディージョーンズ 最後の聖戦」の舞台となったと言ったほうが、分かりやすいだろう。 ![]() ここはイギリスの詩人ディーン・バーゴンが「時の刻みと同じくらい古いバラ色の都市」と絶賛、賞賛した場所。僕は、ついにそのトレジャリー前までやって来たのだ。そこには200個以上のキャンドルが照らされ、キャンドルの向こうにトレジャリーの建物が、闇夜の中、怪しげなバラ色に染まっていた。 「ここは夢か幻か?」 そして中国のコキュウのような音が響き渡った。 無数のキャンドルの間で、演奏者がいる。 彼はベドウィン族の伝統楽器「ラバーバ」を持ち、風に交わるような演奏をしてくれた。 音は、かすれたバイオリンみたいだった。気は相変わらず重いけど、風があるからだろうか。体に留まらずに流れてゆく。バラ色の都市・ペトラ。こんな場所が世の中にあるのか? ファーストインプレッションはそれほど大きなものだった。 かすれたバイオリン音を聴きながら、夜風に吹かれる。天には無数の星々が、降るように輝いていた。北斗七星が、いつもより近い気がするのは何故だろう? 北極星は、低い位置で、光を放っていた。 ![]() ふと思った。 「さっきの重い気は、ナバタイ人が攻めてきた敵を殺戮した場所なのか?」 いや、違う。トレジャリーの前で、心を落ち着かせて感じてみた。ここは秘密の要塞、忘れ去られた都市。だから重い、軽い、重い、軽いを交互に繰り返す事で、人を迷路に迷い込ませたのではないか? 軽い、重い、の繰り返しは、そんな高度な結界のように思えた。 夜、その結界の中へ入り込むと、闇同様、根源的に迫ってくる。だから、人々はこの地で迷い、死んでいったのではないか?ナバタイ人に襲われた者たちも、多数は迷った挙げ句、彼らに見つかり殺されたのではないか? ペトラの至宝・トレジャリーから見る星空は美しかった。 流れ星が、一つ、また一つと軌跡を描いてゆく。 夜の闇に浮かぶバラ色の都市。 トレジャリーは、死ぬまでに必見の聖地であることは、間違いない。 (終) このペトラの体験以来、僕は、オーブには2種類あると思うようになった。 ひとつはチリやほこり、雨粒にフラッシュが当たって出来たもの。そしてもう一つは、エネルギーと関係する何か? その何かは、僕には分からない・・・・・ ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタンをクリックお願い致します! ↓ ココをクリック! ![]() |
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