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写真家・野村哲也が贈る“地球の息吹”

たまゆら

死海にて(c)

少し前のブログで、オーブの写真をアップした。
別名たまゆらと呼ばれるこの現象を、ウィキペディアで調べると“写真に写り込む小さな水滴のような球体”と定義されている。
原因は「雨粒にフラッシュが当たる」または「埃やチリの多いところにフラッシュの光が当たる」などが考えられ、僕も聞かれた場合はそう答えていた。
あの事件が起こるまでは・・・・・

その時のテツヤ通信に書いたものを下記に記す。2006年8月7日 題名は「初ペトラ」。
ローカルバスで首都アンマンからヨルダン王国を南下する。
総勢20名くらいのバス。発車してすぐにカセットのボリュームが上げられ、アラビア音楽がけたたましくなった。クラクションがひっきりなしに押され、それぞれが罵声を浴びせている。バスチケットは3ディナール(400円)。乗車時間は3時間だった。向かう先はワディムサ。ヨルダン一の観光地「ペトラ遺跡」のベースタウンだ。昼の2時過ぎにワディムサへ到着。
ワディムサ(c)

ホテルを値切り、プール付きのホテルを安宿同然の値段まで下げる事に成功した。
が、この町で、僕は大きな打撃を何度も食らうことになる。一つ一つの小さなスーパーやお店へ行くが、一向としてビールが置かれていない。「エフェス」。トルコのビールだ、と思って近づいてゆくとそれはノンアルコールビールだった。バイブル(聖書)ビールなんていうノンアルコールビールもある始末。僕は生まれて初めて、ビールが飲めない、完全にシャットダウンしている村に来てしまった。
その後、少し遅いランチをコカ・コーラと共に取り、キンキンに冷えた室内プールで、バシャバシャと泳いだ。
部屋に戻り、ロンリープラネット・ヨルダン編を読んでいると、ナイトペトラと書かれた文字に目が止まった。一週間に一度だけ開催される夜のペトラツアー。今日は・・・・運命の木曜日。
内容は、夜のペトラを、入り口のゲートからエル・ハズネ(以下トレジャリーとする)まで歩く特別ツアーらしい。
よっし、参加しよう。
初めてのペトラが、夜からとは、ナカナカおつなもの。
夜8時30分。
僕はペトラの入り口にいた。
空からは半月が煌々と大地を照らしていた。
「ハーフムーン ペトラ」
何だか歌の題名になりそうな、夜になりそうだ。気温は25度くらいだろうか、夜風が心地よかった。ナイトペトラ用のガイドと出逢い、中へ入ってゆく。12ディナールのチケットをみせて、ついに憧れのペトラ核心部へ。その瞬間、風景が変わった。星空が多くなり、半月の力が強くなったような気がした。
道の両脇には藁半紙の袋で作られた中にキャンドルが入れられ、火が灯っていた。
キャンドルの道が、どこまでも続いている。
後ろを見ると、ワディムサの町明かりが眩しい。
シルクのような、すべやかな風が吹き、馬のウンチの匂いがした。
月明かりは、奥に行けば行くほど明るくなり、月影がユラユラと揺れた。
写真を撮る。フラッシュがたかれ、僕は映り込んだものに、息をのんだ。
それはオーブ、たまゆら、コダマと呼ばれるものだった。天から使わされたまあるい玉のようなもの。気の世界で、それはコダマと呼ばれていた。聖地とかに行くと映ることがあるけれど、気にせずにいた。紀元前1000年にはエドム人、そして6世紀頃はナバタイ人が主役となり、この聖地は栄えた。
半月、星、岩峰に月光が当たり、蒼白く浮かび上がっている。
キャンドルの道は、一本に続き、僕たちを案内してくれている。
夜のペトラは、絹の海のようだった。
気の先生に教えてもらった方法でエネルギーを感じてみると、グングンと手元に集まってくる。
セルフタイマーで写真を撮る。
まずは僕のいない場所で一枚、次にその場所に自分が入って気を目一杯集約する。
ナイトペトラ(c)

カシャン。
シャッターが切れ、映り込んだ写真を見ると、僕を中心に赤リングと白金色が全面に写った。まさにビックバンのような写真だった。
ビックバン(c)

次に手だけを撮ってみる。
まずは何もしないで手を撮ってもらうと、3つのコダマが写った。
使用前(c)

そしてもう一度ペトラの岩から周りの遺跡から、気を集めて、撮影。
次の写真には、100個くらいのオーブ(たまゆら)が写っていた。
使用後(c)

オーブとエネルギーは何か関係があるのだろうか? それともたまたま?
そこから道は、シーク(岩にはさまれた狭いところの意味)という場所にさしかかる。
右にも左にも巨大な30m以上の岸壁。その間の一本道を歩いてゆく。
シーク(c)

夜の闇は更に根源的になり、見上げると、岩と岩の間から星が濡れていた。
シークに入ってから、気がどんどん強くなってくる。
それも気持ち悪くなってくる気だった。どこまで強くなるんだろう、と闇をかき分け歩いていると、突然軽くなる場所が現れる。そしてまた重い場所、軽い場所と連続してゆく。
僕は「気」と「風」の関係を想っていた。ペトラの気は、全体的に重い気がする。それは夜だからなのかもしれない。けれど、風の通り道は、軽く感じるのだ。まるで重い気が、そこに留まらずに流れてゆく感じ。軽い気場では、常に緩やかな、涼やかな風が吹いていた。
重い気場では、頭に痛みが来ることもある。締め付けられるような、まるで自分が孫悟空にでもなった気分だった。細長い大回廊を歩いてゆくと、キャンドルに照らされたトレジャリーが岩の透き間から見えてきた。トレジャリーは崖を削り、彫り抜いた神殿風建造物。幅30m、高さは45mもある。
紀元前1~2世紀のものだが、映画「インディージョーンズ 最後の聖戦」の舞台となったと言ったほうが、分かりやすいだろう。
トレジャリー(c)

ここはイギリスの詩人ディーン・バーゴンが「時の刻みと同じくらい古いバラ色の都市」と絶賛、賞賛した場所。僕は、ついにそのトレジャリー前までやって来たのだ。そこには200個以上のキャンドルが照らされ、キャンドルの向こうにトレジャリーの建物が、闇夜の中、怪しげなバラ色に染まっていた。
「ここは夢か幻か?」
そして中国のコキュウのような音が響き渡った。
無数のキャンドルの間で、演奏者がいる。
彼はベドウィン族の伝統楽器「ラバーバ」を持ち、風に交わるような演奏をしてくれた。
音は、かすれたバイオリンみたいだった。気は相変わらず重いけど、風があるからだろうか。体に留まらずに流れてゆく。バラ色の都市・ペトラ。こんな場所が世の中にあるのか?
ファーストインプレッションはそれほど大きなものだった。
かすれたバイオリン音を聴きながら、夜風に吹かれる。天には無数の星々が、降るように輝いていた。北斗七星が、いつもより近い気がするのは何故だろう?
北極星は、低い位置で、光を放っていた。
ペトラの夜(c)

ふと思った。
「さっきの重い気は、ナバタイ人が攻めてきた敵を殺戮した場所なのか?」
いや、違う。トレジャリーの前で、心を落ち着かせて感じてみた。ここは秘密の要塞、忘れ去られた都市。だから重い、軽い、重い、軽いを交互に繰り返す事で、人を迷路に迷い込ませたのではないか?
軽い、重い、の繰り返しは、そんな高度な結界のように思えた。
夜、その結界の中へ入り込むと、闇同様、根源的に迫ってくる。だから、人々はこの地で迷い、死んでいったのではないか?ナバタイ人に襲われた者たちも、多数は迷った挙げ句、彼らに見つかり殺されたのではないか?
ペトラの至宝・トレジャリーから見る星空は美しかった。
流れ星が、一つ、また一つと軌跡を描いてゆく。
夜の闇に浮かぶバラ色の都市。
トレジャリーは、死ぬまでに必見の聖地であることは、間違いない。 (終)

このペトラの体験以来、僕は、オーブには2種類あると思うようになった。
ひとつはチリやほこり、雨粒にフラッシュが当たって出来たもの。そしてもう一つは、エネルギーと関係する何か?
その何かは、僕には分からない・・・・・
                                   ノムラテツヤ拝
砂の王国(c)
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テーマ:自然の写真 - ジャンル:写真

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