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写真家・野村哲也が贈る“地球の息吹”

結(ゆい)の心

カスティーヨ村(c)

小さな八百屋をのぞくと、そこにはコカコーラなどの炭酸飲料、ジャガイモ、パン、玉ねぎ、ペンネのパスタだけが売られていた。
「こんなんで、生きていけるのかしら?」と思わず口にし、ハッと我に返る。
僕は、八百屋に並ぶ物品だけで、カスティーヨ村の豊さを判断してしまっていた。でもどうだろう?村の庭先には鶏が自由に歩きまわり、郊外ではローズヒップの林の向こうに牛が悠々と草をはんでいる。
営み(c)

鶏からは卵と肉が、牛からは乳と肉が、ローズヒップからはジャムが頂ける。それにジャガイモとパン。周りには美味しい水と空気と、何より密な人間関係、家族関係がある。
ローズヒップ(c)

インターネットは村で一軒だけ出来る。
今も互いの家は無線で連絡し合い、車ではなくもっぱら馬で移動する。
時代を逆行する、または時代から取り残されているように見える村が、何日か滞在していると突然、濃く深い世界が見え始める。それが住むということ、それが滞在するということ。
本を読んだだけでは分からない世界が、厳然とここにある。ネットが無くても、そこには手紙が、人と人が目を見て話し合う場があるのだ。村を歩くと、みんなが話しかけてくるのは、そこに重きを置いているからだろう。端から端まで歩くのに10分もかからない。中には小さな幼稚園と小中学校、八百屋と電話局があった。病院はないので、もし病気になったら100キロほど行ったコジャイケの町で診てもらうのだろう。
牛の行列(c)

「買い出しも一ヶ月に一度だろうか? カートを山盛りにして」
そんな考えをした自分が恥ずかしくなった。
泊まっていた民宿でのこと。
夕食を食べていると、現地民のおばさんが民宿のママに10キロの玉ねぎ袋を持ってきた。話の内容を聞いていると、ママが今日買い出しに行く人に、頼んでいたようだ。
軒先(c)

『結(ゆい)』という言葉がある。
お互い助け合い、相手のためを想い、自分が行動する形体。
日本文化の結晶とも言われる結文化は、一般的に岐阜の白川郷の合掌作り、あの茅の吹き替え作業で使われることが多い。手弁当ひとつで、友人の知り合いの茅葺を手伝いに行く。誰かが困っていたら、みんなが幸せになるため一所懸命に手伝う。確かな思想がそこにあるように想う。
「結」は別に日本だけのものではない。
人が生きていく上で、どこでも育まれてきたものに違いなかった。その“生命の幹”となるような結の心すら、気付かずにいる自分がいた。
自分がコジャイケの町にいかなくても、買い出しに出かける人が、周りの人の分も買ってくれば良いのだ。
僕はカスティーヨ村から、決して忘れてはならない、大切な生き方を見せてもらった。
城山(c)

多様な生き方がある。
人間は住む場所も、思考も含めて、多様な生き物だと思う。
でも、結の心は、誰もが持っている核のような部分にあたると思う。
それを今、存分に発揮しているか?
発揮している人は充足感に満たされ、発揮していない人は不足感を抱いているかもしれない。
そんなことを、コジャイケの町を歩きながら考えていた。
                                    ノムラテツヤ拝
鱗雲(c)
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