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写真家・野村哲也が贈る“地球の息吹”

最強中華店

岐阜に大好きな店がある。
以前に書いたメールを以下に記す。(2007年2月7日記)

白髪、白髭をたくわえた仙人と出逢った。
昨日、ヒーローSさんと一緒に、岐阜市内の三本足という店へ出かけた。
「てっちゃん、あそこはね、店内が小さくて汚いけれど、とっても美味しい中華を出してくれるのよ」
知人の言葉を信じて、乗り込んだ。コックの斎藤さんは、風貌がまるで仙人。別時代から飛び出てきたような感じだった。
「お兄ちゃん、飲むなら、まずは餃子と焼き鳥を食べてみな」
カウンターに座った僕は、言われるままに注文した。まずは餃子。皮はふうわりして、ひと噛みすると、ショウロンポウのようにパッツリ弾ける。タレは付けず、自家製豆板醤の味が、口内で絶妙のハーモニーを生んだ。から揚げは、あまからの味に仕上げられていたけれど、鳥そのものの肉が上等なのか、噛んだ後には、肉がピンと立っていた。
ビールを啜り、また一口。
食べれば食べるほど、甘辛の味はなくなり、鶏肉本来が持っている味だけが浮かび上がった。
「エビチリも良いですよ」
カウンター越しの奥様に言われ、海老好きのSさん首をかしげた。
「メニューに無いんですけど、何処かに書いてあるんですか?」
「書かれてありませんけど、エビチリも作れます」
まさしく隠しメニュー。頼むと、一品一品の出てくるスピードが速い。エビチリはプリンプリンの触感に、これまた上品な味付けだった。
「そろそろ、マーボー豆腐を」
これもやっぱり、ものの3分ほどで目の前に置かれた。レンゲで掬った瞬間、僕の指は震えた。なんだかプリンとヨーグルトを2で割ったような感覚なのだ。これって本当にマーボー? 眉間に皺を寄せながら、口へ運んだ。豆腐はフワフワの雲みたい・・・味は違うけれど、白子みたい。そこに角の取れた、でも肉、豆腐の最も美味しい部分は損なわない味があった。一口、二口。僕は蕁麻疹が出そうな感覚におちいっていった。こんな美味しいマーボー豆腐が岐阜で食べられるなんて。
「大将、噂で聞いたことがあるんですけれど、陳健一さんが岐阜に来られた時には、必ずこのお店に寄られるというのは本当ですか?」
「本当だよ。健一は僕の孫弟子になるんだ。弟の弟子が健一だから」
「ひょっとしてマーボー豆腐を日本に伝えた健一さんのお父さん、陳健民さんとも親交がおありですか?」
「僕は年は健民よりも歳下だけど、兄弟子にあたるんだよ。師匠が同じだから」
「えっ、健民さんと斎藤さんの師匠って、どなたなんですか?」
「シェー・チャンスーという人だよ」
シェーさんは8歳からコックをしていた伝説の中華料理人だった。
「もう一人の師匠は陳タイニン。90歳を超える今でも鍋をふってるよ」
「それにしても、このマーボー豆腐、最高ですね」と僕が声を上ずらせながら言うと、斎藤さんは「この味は、まだ健一には出せないからな」とニッコリ笑った。
通称ジョーと呼ばれる斎藤さん。彼の生い立ちを聞きながら、食は進んだ。本籍は東京だけど、ヨーロッパに18年ほど勤務していた。シェラトンの代表に重宝がられ、中国語、英語、ドイツ語を操るシェフ・ジョー斎藤は、各料理長として味を伝えた。
15年前までは、シェラトンの中華代表スーパーバイザーを務めていたというから驚きだ。
名古屋の中日ビルに中日パレスが出来た時、本格的な中華を出すということで、ジョー斎藤に白羽の矢がたった。彼は日本に戻り、5年ほど鍋を振ったが、名古屋の町が「美しくない」と語り、美しい町を探した。日本中歩いて行き着いたのが「岐阜」だった。
「町の真ん中に綺麗な川が流れ、金華山の上には岐阜城。岐阜の人はもっと岐阜の町に誇りを持つべきだね」とウィンクした。
Sさんも僕も拍手喝采。だって岐阜は世界一の町だから。
「私は日本人に合わせるよりも、本場の本物の味を出す事に専念している。だってそうでしょ。たかだか50年のキャリアで、4千~5千年の歴史は変えられません」
そしてジャコチャーハンと麺へ移った。
Sさんは担担麺、僕は他店では絶対食べられないと勧められた「蘇州湯麺」を。
「ラーメンは日本が作ったもの。それに対して担麺(たんめん)は中国人が作ったものだから美味しいんだよね」そういえば、僕の大好きな「登龍」のトリソバも担麺だなぁ。
「担麺(たんめん)の担は、かつぐという意味だから、屋台にも通じてる」
ジャコチャーハンは、ネギとジャコ、玉ねぎとピーマンを焦がしてあり、香ばしさが、体中へ浸みていった。
そしてラストの蘇州湯麺。んもう、ヤバイ。ヨードチンキの味と、苦味が連続で襲ってくる。まさに漢方みたい。横の壁には「食は命、食は薬」と書かれている。 まさに医食同源の湯麺だった。中に入っている具をみると、シャキシャキの竹の子と高菜。二口、三口までは苦さに舌がしびれるけれど、それ以降はスルスル入ってゆく。
そして1分後くらいから、体の芯が点火したように燃え出した。
「うちは漢方を入れてあるから、体の中から温まるでしょ」
汗をかく僕を見ながら、ジョー斎藤シェフは言う。
後味は苦味が残りそうなものだけど、幽霊のように、何も無かったようにアッサリと消えた。
最強中華の店が、岐阜の町中でひっそりと営んでいた。
帰るとき、壁に論語の一節を見つけた。
「三人行必有我師焉」(三人行えば 必ず 我が師あり)
三人で事を行えば、他の二人のする事の中に見習うべき手本、真似てはならない悪い見本と自分の先生となるものが必ずあるものである。
「僕はこの句が大好きでね」
ジョー斎藤シェフ、まさに現代の仙人の声が、店内に深く響き渡った。
                                  ノムラテツヤ拝
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