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写真家・野村哲也が贈る“地球の息吹”

フージオ

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人生において、あそこがターニングポイントだと思う瞬間がある。
それは僕にとって、イグアスの滝の夜だったのだろう。
自分は22歳から友人、知人たちと一緒に世界中を巡るツアーを催行しているが、あの時は南米チリのイースター島とブラジルのイグアスの滝を組み合わせだった。
夜、満月が作り出す虹を見ようと出かけたが、殆どの人が一目見ただけで綺麗だねと帰ってしまった。でも一人だけ僕の横に残ってくれた人、それがフージオだった。漢字で書くと不二夫、まるで富士山(語源は不二山)を彷彿とさせる。
「てっちゃん、綺麗だねぇ~、∞の∞の感謝だよ」とはしゃぎながらシャッターを押す。
「あっ、撮れたぁ~」
まるで少年のように悦びを爆発させるフージオが、僕は好きだった。
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「てっちゃん、生きるって美しいよな、楽しいよな。僕は今というこの瞬間が大好きなんだよ。てっちゃん、自分の好きなことを大切にしながら、お互い思いっきり人生を生き切ろう」
満月に照らされたフージオは、プラチナ色にキラキラと輝いていた。
フージオが、一昨日、肺気胸で他界された。享年65歳。
アタカマ砂漠で撮影中の僕は、突然の訃報に呆然とした。
昨日は何を撮影していても、涙がぽろぽろと溢れてかすんでしまう。
でもそんなときは、あの誰もが幸福になってしまうフージオの笑顔を思い出すように。するとその穏やかさで、また涙が溢れてしまう。
人生にとって大切な指針を与えてくれたフージオ。
ある花を撮影しているとき。涙にぼやけた花に太陽の光が入り込んだ。
それは七色のプリズムで、花々の命が光に包み込まれたような写真。
涙を拭いて、もう一度同じ角度から、同じ画角で撮影してみる。
「太陽を掴まえる」
これはすべての自然写真家の願い。この数年、どうやったらそれらが自由自在に出来るのかを、自分なりに試行錯誤していた。
まさか、、、もう一度やってみる。
カメラの液晶には、七色の花のいのちが写り込む。
「∞の∞の感謝だよ」
天から言葉が雨のように降ってくる。いくつもいくつも。僕はカメラを地面に置いて、号泣した。
その瞬間、僕の中でフージオがこの世を離れたことを体感した。
「さりげなく、でも命をかけて見守る力」
誰か困っている人がいれば全力で助け、講演会があれば、必ず最後尾のドアに近い方に座る。
「どうして?」と聞く僕に、「みんなを見ていたいんだよね」と。
そんな風のような人だった。
僕はフージオから貰ったものを、ちゃんと生かしているだろうか?
生き切っているのだろうか?
フージオ、今もこの文章を書きながら、僕はグショグショに泣いています。
でも、今日から下を向くのではなく、天を見上げながら進みます。
だって、僕がいつまでもいじけてたら、フージオは悲しむものね。
アタカマにいることもあって、お通夜にもお葬式にも伺えません。
でもフージオのお墓は、大空や大海が似合うような気がします。
今日も、太平洋と大空に手を合わせます。
フージオ、僕たちはいつも七色の光で抱かれているんだよね。虹の環の中心にいるんだよね。あの満月の虹は、魂が震えるほど美しかった。
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そしてそこに一緒にいられたことを、とても感謝しています。
太陽光の掴まえ方まで、教えてもらい、ありがとう。
丁寧に、丁寧に、毎日を積み重ねて邁進します。
それが、まさにフージオの生き方だったから。
                   ノムラテツヤ拝
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テーマ:スナップ写真 - ジャンル:写真

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