フージオ2015-10-20 Tue 18:19
![]() 人生において、あそこがターニングポイントだと思う瞬間がある。 それは僕にとって、イグアスの滝の夜だったのだろう。 自分は22歳から友人、知人たちと一緒に世界中を巡るツアーを催行しているが、あの時は南米チリのイースター島とブラジルのイグアスの滝を組み合わせだった。 夜、満月が作り出す虹を見ようと出かけたが、殆どの人が一目見ただけで綺麗だねと帰ってしまった。でも一人だけ僕の横に残ってくれた人、それがフージオだった。漢字で書くと不二夫、まるで富士山(語源は不二山)を彷彿とさせる。 「てっちゃん、綺麗だねぇ~、∞の∞の感謝だよ」とはしゃぎながらシャッターを押す。 「あっ、撮れたぁ~」 まるで少年のように悦びを爆発させるフージオが、僕は好きだった。 ![]() 「てっちゃん、生きるって美しいよな、楽しいよな。僕は今というこの瞬間が大好きなんだよ。てっちゃん、自分の好きなことを大切にしながら、お互い思いっきり人生を生き切ろう」 満月に照らされたフージオは、プラチナ色にキラキラと輝いていた。 フージオが、一昨日、肺気胸で他界された。享年65歳。 アタカマ砂漠で撮影中の僕は、突然の訃報に呆然とした。 昨日は何を撮影していても、涙がぽろぽろと溢れてかすんでしまう。 でもそんなときは、あの誰もが幸福になってしまうフージオの笑顔を思い出すように。するとその穏やかさで、また涙が溢れてしまう。 人生にとって大切な指針を与えてくれたフージオ。 ある花を撮影しているとき。涙にぼやけた花に太陽の光が入り込んだ。 それは七色のプリズムで、花々の命が光に包み込まれたような写真。 涙を拭いて、もう一度同じ角度から、同じ画角で撮影してみる。 「太陽を掴まえる」 これはすべての自然写真家の願い。この数年、どうやったらそれらが自由自在に出来るのかを、自分なりに試行錯誤していた。 まさか、、、もう一度やってみる。 カメラの液晶には、七色の花のいのちが写り込む。 「∞の∞の感謝だよ」 天から言葉が雨のように降ってくる。いくつもいくつも。僕はカメラを地面に置いて、号泣した。 その瞬間、僕の中でフージオがこの世を離れたことを体感した。 「さりげなく、でも命をかけて見守る力」 誰か困っている人がいれば全力で助け、講演会があれば、必ず最後尾のドアに近い方に座る。 「どうして?」と聞く僕に、「みんなを見ていたいんだよね」と。 そんな風のような人だった。 僕はフージオから貰ったものを、ちゃんと生かしているだろうか? 生き切っているのだろうか? フージオ、今もこの文章を書きながら、僕はグショグショに泣いています。 でも、今日から下を向くのではなく、天を見上げながら進みます。 だって、僕がいつまでもいじけてたら、フージオは悲しむものね。 アタカマにいることもあって、お通夜にもお葬式にも伺えません。 でもフージオのお墓は、大空や大海が似合うような気がします。 今日も、太平洋と大空に手を合わせます。 フージオ、僕たちはいつも七色の光で抱かれているんだよね。虹の環の中心にいるんだよね。あの満月の虹は、魂が震えるほど美しかった。 ![]() そしてそこに一緒にいられたことを、とても感謝しています。 太陽光の掴まえ方まで、教えてもらい、ありがとう。 丁寧に、丁寧に、毎日を積み重ねて邁進します。 それが、まさにフージオの生き方だったから。 ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
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