虹のじかん2017-01-26 Thu 13:34
![]() マウイ島は、東西に大きな山が聳えている。 貿易風が当たると雨雲が湧き上がり、雨のカーテンが出来あがる。 天候の良い海側から太陽の斜光線が射し込むと、ドラマが起きる。 そう、ここハワイの別名は「虹の州」。 一重、二重、そしてかすかに三重の虹だって現れるのだ。 ![]() 雨粒と砂塵舞う大草原の真ん中で、僕は虹と向き合った。 「綺麗、美しい、有難う」。 これが虹を呼ぶ魔法の言葉だと、パタゴニアの先住民から教えてもらったっけ。 ゆっくり呟くと、虹は強く、太く色づき始めた。 ![]() 僕たちと大自然は当たり前だけれど、深く濃く常時繋がっている。 撮影がひと段落し、帰ろうとすると、また虹が濃くなって青空にアーチを架けた。 ザックからカメラを取り出して再び撮影。それが三度も(笑)。終いには夕日になるまで、虹は僕と遊んでくれた。 虹は体内に流れるエネルギーを中性に戻してくれる。 そして、いつも僕の魂をワクワクさせる。 ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
ハワイ最大の神殿2017-01-23 Mon 07:54
![]() ハワイ諸島最大のヘイアウ(神殿)がマウイ島にある。 13世紀に建てられたもので、104m×126m四方、高さが15mほどある。 ![]() 見上げるとまさにマヤの神殿「テオティワカン」を彷彿とさせ、物語を聴くとインカのマチュピチュを思い出させた。 ![]() スペインに敗れたインカの人々は、最後の聖域マチュピチュの存在を教えなかった。逃げるときもわざとマチュピチュから迂回する道を選び、殺される時も決して口を割らなかった。そのお蔭で今から100年前の1916年まで天空の城マチュピチュの存在は世に出ることはなかった。 ハワイ最大のヘイアウも、ここで大規模な後継者争いが起きたが、新たに統治した王が、それらを記すことも、話すこともカプ(タブー)とすることで、守り抜いた。たった36年前、このヘイアウが見つかった時は、マチュピチュ同様、ジャングルのような草むらに埋まっていたという。 ![]() 太陽の家を意味するハレアカラ山を御神体とするヘイアウ。到着した時は青空だった空も、撮影を終えると雨が降り出した。 柔らかな、サァーサァーと降り注ぐ、聖雨。 ![]() 時折、「スザーン」と遠くの浜から大波が押し寄せる。 鳥の高声が森に響き、虫が一斉になきはじめた。 僕は目を瞑り、全身で氣を測る。 ![]() 柔らく細やかだけれど、しっかりと芯のあるエネルギー。 それは僕の最も安らぐ場だった。 ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
最終舞台2017-01-21 Sat 15:02
![]() 成田を出発した機体は1年ぶりのホノルルへ下りていく。 ポリネシア最終地はハワイ。 ハワイ(北)、イースター島(東)、ニュージーランド(西)を結ぶ三角形の内側がポリネシア。ギリシャ語で「多くの島」を意味する。 物語の最終舞台は、3時間のトランジットを経て、またジャンプ。 天候は晴れ。朝の光がダイアモンドヘッドの火口を照らした。 ![]() 見事なカルデラ地形。その背後に、ハワイ最大の街並みが広がった。 ![]() モロカイ島を左手に見ながら、ついにその姿が見えてくる。 空に交わるように、ハレアカラ(3055m)が屏風のように聳えていた。 大きく左に旋回して、マウイ島のカフルイ空港へ。 生まれて初めてのマウイ。 さぁ、アンテナを高く張って、島内を縦横無尽に巡ろうっと。 ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
最後の地2017-01-19 Thu 13:59
![]() 大好きなあんちゃんご夫妻と一緒に、名古屋の「ひじり」で食事を頂く。 なかなか予約が取れない店らしく、最初からワクワクさせられる。 湯葉のアン肝醤油がかけられていたり、タラコの上に空豆など、斬新な組み合わせ。 もちろんお魚はアオリイカの上に墨塩や、プリンプリンのボタンエビがフキの葉っぱに乗せられて。 ![]() 締めはスッポン汁の蕎麦。 ![]() そして昨夜は母方の実家から、牡蠣が50個ほど届いた。 ![]() 岐阜からは柿を、宮城からは牡蠣をと山と海の物々交換。 三陸沖の立派な牡蠣は、まさに海のミルク。 さぁ、体にたっぷりの栄養が回ったので、充電完了。 これからポリネシアの旅最後の地へ向かう。 イースター島、タヒチ、ニュージーランドと来れば、残るはあそこしかない。 色眼鏡をかけず、まっさらな状態で、丁寧に向かい合ってきたいと思う。 皆さま、行ってきます! ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
龍の眠る町2017-01-19 Thu 09:06
![]() 450年前、一人の男が岐阜へ入場した。 戦国武将の織田信長だ。 その時この地はまだ井ノ口と呼ばれ、金華山のてっぺんに立つ城は「稲葉城」。 そこに信長は妻の濃姫と共に10年の歳月を過ごした。 世界中を旅したポルトガルの宣教師ルイス・フロイスの記述にこうある。 「ポルトガルやインド、日本の他地域で宮殿や居館の中で、最も精巧かつ豪華な作りで、信長の宮殿は非常に急峻な山に建つ」と。 久しぶりに青空が広がったので、麓から駆け足で岐阜城まで登った。 途中、赤い実をつけた「たまみずき」が、森を彩り、まるで紅葉のよう。 ![]() 金華山の頂に立ち、久々に岐阜を見下ろすと、長良川という龍が町を貫いていた。まさに臥龍、「龍の眠る地」と呼ぶに相応しい。 ![]() 信長は天下統一を夢みながら、この地を名前から変えていった。 岐阜の岐は、武王の生まれた岐山から。阜は孔子の生まれた曲阜から。 つまり文武両道の町にしようと、岐阜と名付けた。 そして楽市楽座をてがけ、日本有数の活気ある町を作り上げた。 ルイス・フロイスに信長がかけた言葉がまた良い。 「岐阜へは何度も訪れよ」 ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |