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写真家・野村哲也が贈る“地球の息吹”

パウロ

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南米3ケ国のアテンドのため、成田空港から飛んだ。
機内で見た映画「パウロ」に、胸が揺さぶられたのでそれを記したい。
パウロとは言わずとしれた、イエス・キリストを誰よりも世界に広めた功労者だ。
映画は、聖書のルカ伝を書いたルカと、パウロの交流を軸にして広がっていく。ネロ大帝が幅を利かせている時代のローマ軍とキリスト教徒の戦い。ローマの半分を焼いたと嫌疑をかけられたパウロ、牢獄を管理するマウリトゥイス、そこに聞き取りにやってくるルカ。
キリストに逢ったことの無いルカは、パウロの心に中にキリストを感じ、その全てを書き写すことを決意する。
しかし、仲間の子供が殺されることで、キリスト教徒内でローマ軍への復讐心が勃発する。それをパウロがこう諭すのだ。
悪にとってうち勝てるのは良心のみ。愛だけなのだ。愛は寛容であり、愛は優しい、妬まず、奢らない。礼儀をわきまえ、自らの徳を求めない。簡単に怒らず、真理を喜ぶ。愛は決して悪を楽しまない。愛は守り、信じ、希望を持ち、すべてに耐える。それが愛なのだ、
基本的に僕は特定の宗教を信じていない。もし信じているとしたら、古神道、またはアニミズム。大自然こそが神があり、巨木、巨石に神が宿るという世界観。でも、全ての宗教は分け隔てなく同じことなのだと、この映画が教えてくれた。
物語が佳境に入ると、より真実へ、真理へと昇華されていく。
パウロが管理人マウリトゥイスに言う。
「想像してくれ。目の前に大海原がある、腕を伸ばして、水面を割り、その手で海水でひと掬いして、自分の顔に近づけるが、すぐに水は指の間からこぼれおち、何も残らない。その水は生まれてから死ぬまでの人の命だ。指の間からどんどんこぼれ落ちていく。この世で大切にしているものもそうだ。だが、ワシの言う王国は違うのだ。それは大海の水のほうだ。人の
命は手から流れ落ちる僅かな水にすぎないが、キリストに従うものは、どこまでも広がる海を命とする」
それは、まさに大自然そのものを表していた。
この世に何も境はなく、分類も無い。皆それぞれの命を燃やし、ひとつの大きな命を生きている。そのことを書物や口伝で伝えるのが、宗教であり、アニミズムであり、大自然である。
人生で得る経験は、すべての命によってさせてもらう恩寵であり、他者は自身の代わりに経験してくれているのだ。
すべては映し、映し合う世界。その何処にも、分け隔てはない。
求めるものは一つ。それは命という真理。その扉は何処にでも誰にでも開かれている。
宗教、大自然、ヨガや瞑想、経営や自身の仕事だったり。自分が求めるところから、身近なところから始めれば良い。
行きつく先はすべて、同じ一点に収束されていくのだから。
写真は映画「パウロ」の一コマ。
               ノムラテツヤ拝
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