サラエボ2020-01-03 Fri 20:39
![]() 駆け足で回った中欧の旅も、最終地は、ボスニアの首都サラエボで〆。 ここで見ておきたかったもの、それがサラエボ事件の舞台となったラテン橋だ。オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝継承者のフランツ・フェルディナント夫妻が暗殺され、第一次世界大戦へと突入していった。 ![]() 現場を体感すること。それが何よりも大切。自分の人生と第一次世界大戦が、新たな方向から繋がった瞬間だった。 橋の近くで現地民と話していたら、この近くにビール工場があると、教えてもらい出かけた。店内は大人の香りが漂うバー形式で、ビールは深みのあるピルスナー。 ![]() ジャンキーなソーセージやポテトと共に、味わった。 ![]() 中欧8カ国の旅が終わりを迎える。初めて訪れる国々が、また新たな視点を与えてくれた。どんどん自分が変化していく楽しみ。それが旅の醍醐味なのだろう。 ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
モスタル2020-01-03 Fri 13:43
![]() 中欧は別名ユーゴスラビアと呼ばれる。日本語だと、語音的にユーゴス、ラビアと分けそうだが、「ユーゴ・スラビア」 が正しい。意味は「南スラブ人の国」だ。 その核心部で、1992年から1993年にかけ18カ月にかけて起こったのが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。舞台となったのが、ボスニアのモスタルだった。紛争によって廃墟と化したモスタルの再建が始まったのは1999年、街のシンボルだったスタリ・モスト橋や周辺の歴史的な建物は、2004年までに復元された。 ![]() モンテネグロの首都を昼に発ち、午後9時過ぎにモスタルへ到着。翌朝、陽が出る前に散策した。 スタリ・モスト橋は幽玄にライトアップされ、川ではマガモが水かきをばたつかせている。大小の石橋が幾本もかかり、2匹の猫が家の前でジッと日の出を待っていた。 ![]() ボスニアで最も美しい街とされるモスタル。その風光明媚な姿に栄枯盛衰を想った。 ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
| ホーム |
|