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写真家・野村哲也が贈る“地球の息吹”

ペリリューの戦跡

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米軍が「3日、もしくは2日で落とせる」と見込んだペリリューの戦い。当時、世界最強だった米国第一海兵師団と対峙した日本の水戸歩兵第二師団。その隊長だった中川大佐は、500カ所の壕を作ることで島全体を要塞化し、73日という長期戦に持ち込んだ。
ジャングルの中に建てられた海軍司令部の建物や、
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日本軍が使った小さな戦車やゼロ戦、
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そして両軍の兵士の血に染まったというオレンジビーチ、
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2015年に天皇皇后両陛下が黙祷された「西太平洋戦没者の碑」。
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どこを歩こうと、不思議なことに温かい存在が、僕を抱きしめてくる。そして後をついてくる。
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「実は、私の父の弟(叔父)が、太平洋戦争の末期、南太平洋で戦死をしました。同志社大学を卒業し、当時委任統治領の台湾の商社に勤務し、応召されたとか。きっと甥坊が顔を見せてくれ、喜んでくれたのではないだろうか。どうも有り難う」。
父から届いた一通のメールに、温かな存在の理由が、分かった気がした。
          ノムラテツヤ拝
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中川大佐

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ペリリュー島には、いくつもの美しき語が紡がれた地。
その中心となったのが、熊本出身の武人、「中川洲男(なかがわくにお)大佐」だ。
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日本軍1万人に対し、アメリカ軍は4万5千人。火器の差は100倍もある劣勢の中、ペリリュー島の住民は、中川大佐へ共に戦いたいと懇願した。
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だが、「帝国軍人が土人と共に戦えるか」と一喝、島民は落胆し、船でパラオ本土まで運ばれることに。もう泳いで戻るのは難しくなった頃、中川大佐や日本兵たちがジャングルから浜辺に姿を見せ、笑顔で手を振って見送った。
「自分たちの命を救うために・・・」
第二次世界大戦で最激戦区となったペリリュー島は、島の住人の死亡者ゼロという奇跡の戦いの場でもあった。
大佐の墓碑に、こう刻まれている。
「人は憎しみでもっては戦えない。愛のために戦うのである」
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僕はこの島で散った日本軍、そしてアメリカ軍の両英霊に手を合わせに来た。
              ノムラテツヤ拝
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