赤ちゃんてつや2020-05-15 Fri 17:01
![]() きゃぁぁぁ、かわいい~。 写真整理をしていたら、赤ちゃんてつやと、少年てつやが出てきた。 父と母から溢れんばかりの愛情を注がれ、兄と姉から毎日手をかけて可愛がられた。有難いなと思う。笑顔でいられるのは、周りからの愛情のお陰。それにしても、こんな小さい時から、もはや露出狂だったのか?と顔を覆いたくなる。 マチュピチュ、サハラ砂漠、死海、アラスカの原野、ナスカ、パタゴニア、南極、北極、気持ち良いと思ったところは、裸になり全身で感じてきたが、その素地がこの時期からだったとは・・・。 「生涯、地球を遊びきる!」 コロナが終息したら、憧れの場所へ出かけよう! ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
ゼロの絵2020-05-15 Fri 08:03
![]() 2年前、僕は記念講演に呼ばれて名古屋にいた。 会場の後方で控え、もうすぐ出番という時、最後列で絵を描いている一人の青年の絵に目が釘付けとなった。 一流の絵と、二流の絵、その差は一体どこにあるのだろう?世界最高峰の画家、フェルメールの作品をいくつか鑑賞すれば、その答えはおぼろげに見えてくる。 五感で感じる美を大切にし、心から湧き上がるものを表現することが芸術の真意なら、そこから更に自分という存在を消す、またはその芸術表現の中に完全に自身を溶け合わせたものを、一流と呼ぶ。つまり、個性がゼロ。そのままのリアルな現実が、絵というキャンパスに封じ込まれているのだ。それは見る者と絵画の間に画家を一切感じさせないため、、その時代の喧騒や香りまでもが、ありありと浮かび上がってくる。自分を消す、または存在を宙に溶かす。これは教えて出来るものではなく、自分で没頭した時や、神がかった時に初めて実感する、芸術家の僥倖だ。 まさか・・・、彼の絵は一見カラフルな点が不規則に並んでいるが、俯瞰して見ると、完璧な調和を奏でていた。 「ゼロの状態で描かれていますね」。横にいたお母さんにそう伝え、僕は壇上へ向かった。 講演を終えてから、少しだけお話する機会が。画家の名前は平川慧くん。相手の心も、自分の心も、とても大切にする青年だった。 ![]() まるで、現代の山下清画伯だな。慧くんが描く点とや模様が、画伯のちぎり絵と重なった。山下清画伯の作品で、僕が最も愛しているのが「長岡の花火」。この絵もまた、山下清という存在が消えた傑作だ。 ![]() 「野村さん、慧の作品が、近くのお店の包装紙に使われるようになって」 秋田県能代市の「木能実」さんの製品(ドライフルーツ)が、カラフルな色合いの包装紙に包まれて、手元に届いたのが昨日。慧くん、おめでとう。これからも素敵な「ゼロの絵」を描き続けて下さいね。期待しています。 ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
| ホーム |
|