人生の道2021-05-21 Fri 18:16
![]() コロナ禍と骨折のお陰で、46年の人生を振り返ることが出来た。 ここ10年は、一年の半分以上が海外撮影だったので、撮ったものを丁寧に見返す時間すらも無かった。 兄貴から写真を教わった10代の我武者羅さ、写真の師である星野道夫さんに出会った20代のトキメキ感、世界中の大自然を体験した30代の真っすぐさに、少なからず打たれるものがあった。 ![]() ようやく自分の存在を操縦し始めた40代は、写真の中に撮影者がいなくなる手段を試しているのが伝わった。あと4年間ある40代、そしてそこから50代、60代にかけて何を表現していきたいのかがはっきりと見えた。 12歳で信州の山を撮影してから、はやもう34年間、僕はカメラと共に生きてきた。その間で変わらぬもの、それは写真という表現方法が、撮影することが大好きだということ。理想の写真を追えば、必ず大きな壁にぶつかり、それらを何とかして乗り越えることで、また新たな理想が見えてくる。僕がこの世を離れる100歳の誕生日まで、そんな風にしながら、地球を遊びきりたいと願う。 ![]() 大切なのは、心に、魂に湧き上がる気持ちを大切にすること。そしていつも自分の声、大自然の声に耳を傾けること。後は、それらを爆発させるように表現すれば良い。そう、この巨大な間欠泉のように! ノムラテツヤ拝 ![]() ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
熊野2021-05-21 Fri 13:29
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絶景世界492021-05-21 Fri 07:42
![]() 「10歳で一人旅に出る」。これが我が家の家訓だった。 「電車に乗り、一人で泊まって、いろいろ体験しておいで」。 小学四年生の僕に、父はお金を手渡そうとしたが、一人になるのが怖くて拒否した。 「でも、これは決まりだから」。 半ベソをかきながら家を出たのを、昨日の事のように覚えている。生まれて初めての一人旅。慣れない時刻表を片手に、周りの風景が別世界に見えた。向かった先は飛騨古川、何度も道に迷いながら、白壁の町並みをオロオロと歩く。橙色の夕陽が大地に沈む頃、飛騨古川ユースホステルに到着した。 「おかえり、よく来たね」。中から優しそうなおじさんが微笑んだ。 夕食時、僕はモジモジしながら座る場所を探していると、遠くから声がかかった。 「おい、ぼうず、こっちへ来いよ!」 若いお兄ちゃんが手招きをしていた。恥ずかしかったけれど、すぐ隣に座った。簡単な自己紹介が終わると、世界中、日本中を旅して、どちらも愛したからこそ紡がれる体験談を、10歳の僕にも分かるように面白可笑しく語ってくれる。僕は27歳のお兄ちゃんの世界にすっかり魅了された。 「世界はなんて広いのだろう」 話を聴くうちに目の前の壁が崩れていくような衝撃を受け、それをきっかけに僕は旅の虜になっていく。日本国内はもちろん、アメリカ一周、アフリカ、南米大陸と、世界の扉も少しずつ開かれていった。 翌日、お兄ちゃんはバイクで奥飛騨へ。 「旅って、人生って面白いよな、また世界のどこかで逢おうぜ!」 名前も住所も知らぬお兄ちゃん。でもこの先、もし何処かで逢うことが出来たら「あなたのお陰で、世界に興味が持てました」と伝えたいと思う。 ノムラ テツヤ拝 ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
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