マチュピチュボタル2021-06-22 Tue 17:35
![]() 忘れられないホタルの思い出がある。 去年「ダーウィンが来た(NHK)」でテレビ放映したアルゼンチンも凄かったが、最も印象に残っているのはやはりインカの聖殿だ。 23年前、僕は許可を取り一人だけで夜のマチュピチュ遺跡にいた。満月が煌々と輝き、遺跡をプラチナ色で照らす中、ポーン、ポーンとマチュピチュホタルが飛び交う。 その光はまるで、インカの民たちの魂の軌跡。黄緑の光は、ふわりふわりと闇の中へ溶けていった。 ノムラテツヤ拝 ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
コツコツと2021-06-22 Tue 12:36
![]() 目の前に起こることに感謝しながら、一日一日をコツコツと積み重ねる。 言葉で言うのは簡単だけれど、これがナカナカに難しい。 骨折後1か月は心を立て直すのに使われ、2か月目は傷口の修復へ、三か月目はそろそろ先が見えるかと期待し、現実はそれほど甘くないと思い知らされた。 気持ちの波も浮いたり、沈んだり。気を充実させようにも、入れては抜いての繰り返しだ。 こんな時は、外に出て動くこと。自然を見て心を揺り動かし、現状の出来ていることに感謝する。あれが出来ない、これも出来ないではなく、これが出来た、あれも出来るようになったと。 今は1/2荷重(33キロまで左足に負荷をかけられる)だから、両方の松葉杖を使って靴を履いて出歩くことが出来る。今も30分ほど歩いてきたところだ。 太陽に当たり、体を一定のリズムで動かすと、心が元の場所へ戻っていくのが分かる。つくづく、人間の体って良く出来ているなって想う。昨日の夕焼けも綺麗だった。そう想える、今この瞬間が幸せなのだ。 ノムラテツヤ拝 ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
絶景世界812021-06-22 Tue 07:57
![]() 相手に敬意を込め、感謝して写真を撮影する。気持ちは変わっていないのに、その中で妙に売れる写真と、全く売れない写真が出てくるのは何故だろう?。 僕たち写真家がベストショット、または自信のある写真というのは、大抵思い入れが強い写真だ。何年もかかってようやく撮れた写真、奇跡に成功したショットなど。でも、写真家という職業を長年させてもらっていると、その乖離に悩む時が訪れる。 「どうしてこの自信のある写真ではなく、こちらのカットを選ばれるのか?」と。 21歳の時の処女写真集出版を皮切りに、エッセーや写真絵本などを14冊を編む中で、巻頭グラビアを担当する中で、様々なクライアントたちと共に仕事をする中で出た答えが、僕なりにある。 よく写真家志望の若者たちから受ける質問に、「良い写真はどうやったら撮れますか?」がある。 断言する。良い写真、または悪い写真など無い。写真自体に優劣など1㎜も存在しないのだ。 ただし、撮影した人が、どうしても伝えたい、と強く想う写真はある。それが世に出る写真・・・という訳ではなく、後世に残っていく写真というのは、その一枚後に撮った写真になることが多い。 ここだ、と思った時には、きっと体に力が入っている。でもそのショットを押し込んだ瞬間、脳には快楽物質のエンドルフィンが溢れ、恍惚状態となる。その次、またその次と、押し込んだ写真は、大抵記憶がない。 その無意識で撮影した写真こそが、伝わる写真になるのだ。だって、自分という我が無くなり、透明人間に。「風景」→「写真家」→「鑑賞者」の写真家という部分が消え、「風景」→「鑑賞者」へ。つまり、風景の「氣」が誰にも邪魔されることなく、ダイレクトに相手の心へ振動していくのだ。 ベネズエラのギアナ高地を空撮していたこの写真もそうだった。カレンダー、高校の教科書、雑誌の表紙、テレビ番組、今まで使われた機会は数知れない。大切なのは、「力を抜くこと」、そして「無意識に繋がること」なのかもしれない。 ノムラテツヤ拝 ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
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