変化2021-12-22 Wed 21:35
![]() ねぇねぇ、たまには息抜きして美味しいものを食べませんか? 毎日、毎日、文句ひとつ言わずに、体はあなたのために働いてくれています。 ちょっとだけで良いんです。自分の言葉で自分の体を労わってあげて下さい。そして笑って美味しいものを頂いて下さい。きっと体もその気持ちに応え、さらにあなたの命を守ってくれると思うのです。 すべては相似性。一つの細胞も体全体も同じもの。だから、まずは細胞から支え、自身の体全体へ愛を送りましょ。 冬至の今日が生まれ変わりの日、変化するのはいつですか? 今でしょっ! ノムラテツヤ拝 ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
冬至2021-12-22 Wed 17:22
|
バラさん会録画動画2021-12-22 Wed 15:46
![]() 昨日急遽決まった「バラさん会」。 https://youtu.be/75Nt3QR-Z-M 平日の11時からというのに、200人以上の方が集い、バラさんとのエピソードを語った。 まずトップバッターは、この前の阪根大学で僕を号泣させた御犬様の小林さんから。 平成18年7月22日からのかっこちゃんと行こうイスラエルツアーで、バラさんと初めて逢ったときのことを説明してから、本題に入る。 「バラさんという人は、いつも神様と繋がり、添わせて生きてきた人。誰であろうと平等だし、フラットに人に接する。僕らの人生とはとどのつまり、大宇宙の神様がお創りになられた1つの破片、神の想いを実現するために生かされている。それをまさに日本男児の誇りと共に、体現してくれた漢の中の漢なのだと思う」 想いの強さが場を引き上げ、一気に次元を変える。 2番手は阪根学長。「僕とバラさんを繋げてくれたのは小林さん。イスラエルの旅は、僕のまさに心の旅だった。バラさんという人はイスラエルと一体化し、男が惚れる漢だった。ガリラヤ湖で食事中、バラさんにペルーへ連れて行きたいなと言ったら、小林さんが承りました。翌年、バラさんがペルーへ来てくれ、一緒にアンデスの砂漠を見たのも忘れらない思い出。イスラエル旅のあと、僕だけ少し残った時にバラさんのアパートの最上階のおばさんのところに居候させてもらい、夜はバラさん宅で歓待を受け、翌日はダビッドシティを案内してもらった。バラさんとバスに乗ると、パレスチナ人ばかり。あぁ、これが本当のエルサレムなんだなと思わされたよ」 3番手は山元副学長。「今はまだ悲しいけれど、あんなに素敵な方と出逢えたことは、幸せだなと思っています」 イスラエルツアーの時、2日目だったかな、バラさんが「あなたがリーダーなの?」と聞いてくれ、私は「この中にリーダーはいません。旅のみんな仲間たちです。バラさんも大切な仲間ですよ」と答えました。バラさんは喜んで、「俺を仲間にしてくれるの?」というので、「はい、もちろんです」と。 バラさんはいつも皆さんのことを考え、僕はどうやったら一人一人が楽しんでくれるのかな?と考えられていました。そしていつも1対1で付き合ってくれました。バラさんが亡くなってから、より一層バラさんの温度を感じています。ハティクバの詩も、耳の中で鳴っています。バラさんに逢えて、私の人生は幸せでした。 11時30分、荼毘の時間が訪れたところで1分間の黙とう。そして学長が献杯をしようと、皆で杯を合わせた。 4番手は朝子さん。バラさんとはスコットランド、ブータンなどを旅したが、インドの旅が一番思い出に残っている。列車に乗っているとき、私たちのグループは1号車と3号車と別れていた。アテンダーの小林さんが点呼しても、別れているから歯抜けになってしまい、グチャグチャに。私はCAで学んでいた緊急脱出の要領で、5人1組で座って。それを数えて、小林さんに伝えた。その後、バラさんが駆け寄ってきて、「小林さんを助けて、良い仕事をしたね。素晴らしいことをしたね」と言ってくれたことが忘れられない。 4番手はあっちゃん。今年の10月熱海で初めてお会いして、手を見せてもらった。手相がとても深く濃いので、運勢的にもとても強い人。この俵の部分に多くの線が入っているので、お金も入ってくる。私にも入っているんだけれど・・・・・ ここで何故か画面がフリーズ。さっきから、入っては消えるShigeruの文字が僕のパソコンに浮かび上がる。 「もしかして光田兄ですか?」 「今、高速道路を走っていてね、切れてしまうかもしれないけれど、音声だけで」 そこからの話に、皆、圧倒された。 「亡くなられてからの翌々日、僕はバラさんに逢いに行ったよ」 以前バラさんとは、荷物を片付けているときに「シゲルさんとはうんと前に会っていたね」と言われた。僕はてっきり小林さんのツアーが初対面だと思っていたけれど、実は日本で神田の学士会館でたま出版代表として僕が、イスラエル代表でバラさんが講演した。その時に逢っていたと。奥様のアコさんから色々聞いて、本当にバラさんは守られていたなと。 「バラさんがイスラエルから帰国したのは、去年の12月15日。亡くなったのが12月18日だから、ちょうど一年間、日本の四季を感じて旅立たれた。もうイスラエルのガイドはしないと言われ、理由はガイドとしての仕事をすべてやり切った。だから悔いはないという」。 人生最後のときを、静かに、日本の良い所で過ごせたのは、アコさんのお陰。バラさんは毎朝、必ず9時にモーニングを食べに行く。コーヒーを飲みながら1~2時間ゆっくり読書をしてから帰宅し、昼はアコさんとランチへ。そんな生活を続けていた。その1年の中で3日間だけモーニングに行けない日があった。白内障の手術のため、病院にいたから。でも、もし白内障が無かったら、病院にいなければ、バラさんはあの伊豆山の土砂崩れに巻き込まれていたかもしれない。やっぱりバラさんは守られているね。バラさんは使命を全うした者だけが持ち得る清々しさがあった。神様が1年間、ゆっくりしなさいとご褒美をくれたんだね、気の向くまま、穏やかに。 そして名古屋のせっちゃん。旅の中でパスポートを無くされた方がいらして、夜バラさんの部屋を訪れると、ベッドに横たわるバラさんがいた。それはまるで映画の1シーンのようだった。読書しながらも、凛々しいお姿だった。 ラストは青森の中根さん。36年前の新婚旅行でイスラエルのガイドをしてくれたのがバラさんだった。主人が倒れたとき、かっこちゃんに連絡した際、ブータンを一緒に旅されていて、良くなるようにと一緒に祈ってくださったバラさん、お陰で杖をついて歩けるまでに快復しました。そして熱海講演会のzoomの中にダンディな紳士になられたバラさんが、とても嬉しそうに皆さんとお話しされているのを見て、素敵な人生を送られていらっしゃるんだなぁとこちらまで幸せな気分になりました。ご縁を頂けたことに、心から感謝いたします。 皆それぞれに、それぞれのバラさんがいる。でも、どれもこれも格好良すぎない? 「ははは、てっちゃん」、バラさんから肩を叩かれそうだな。 ラストはやはり、小林さんのイスラエル国家「ハクティバ(希望)」を独唱。僕らの中ひとりひとりに、バラさんが住み、いつもまばゆい光で照らしてくれますね。有難うございました。バラさん。また必ず会いましょう。その時は、美味しいお酒、持っていきますね。 本当に素晴らしい会でした。バラさん会の録画動画を下に記します。ご興味のある方はどうぞご覧下さい。 バラさん会 https://youtu.be/75Nt3QR-Z-M ノムラテツヤ拝 ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
新世界写真642021-12-22 Wed 08:36
![]() クジラの瞳って見たことがあるだろうか? 海で、それも間近で見ない限り、出会うことのない瞳。 ライオン、シロクマとどこか似た、慈愛に満ちた奥深さに、僕はいつも吸い込まれそうになる。海面すれすれから瞳を出して、船上の僕らをじっと見つめる。すると、近くにいたカモメが、クジラの体に付いたフジツボを狙いにくる。すべては輪廻し、生命は巡っているのだ。 僕らと遊んでくれた親子鯨も、そろそろ帰る時間。小さな尾、大きな尾が持ち上がり、静かに海の中へ消えていった。 ノムラテツヤ拝 ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
| ホーム |
|