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写真家・野村哲也が贈る“地球の息吹”

サンセットクルーズ

パタゴニアに、奇跡の場所がある。
大西洋に付き出す動物の聖地「バルデス半島」がそれだ。
バルデス半島の付け根にある“プエルト・マドリン”にバスで早朝に到着。
予約していたパタゴニア・ユースホステルに荷を下ろし、一日ぶりのシャワーを浴びた。
予定では、今日はリラックス、明日はバルデス半島、明後日はプンタトンボと決めていたがインターネットで天気予報を見ると、なんと明日は雨になっている。
急きょ、予定を変更。
急いで、階下へ降り、宿の主人ガストンに聞く。
「バルデス半島から出る午後のボートってある?」
「午前の方が安いけれど」
「値段じゃなくて、自分は写真を撮りにきたんだけど、例えばスペシャルなボートとかは無いかな?」
ガストンはまかせておけと胸をたたき、すぐにボートの発着場「プエルト・ピラミデ」へ電話してくれる。
「今日の午後、それもスペシャルなボートっていうのは何かあるか? おぉ、それはボニートだ。また後で電話するよ」ガストンは、揉み手をしながら、話し始めた。
「去年から、夕日を見ながらのゾディアック・クルーズツアーができたみたいで、今日はよく晴れているから、やるそうだ。参加するかい?」
「うん、でも、どうやってプエルトピラミデまで行けば良いのかな?」
プエルトマドリンの町から港のプエルトピラミデまでは約100キロ、バスは一日一便あるが、もう出発した後だった。
「レンタカー!」。二人同時に叫び、ガストンは電話帳を片手に番号を押した。
ひとつ、またひとつ。ノー、ノー、ノー。
バルデス半島は観光シーズンの真っ盛り。どのレンタカー会社も今日使える車は無かった。
あきらめない。
「もう一度、この電話帳の一番上から、かけて欲しい」
僕の想いを汲んでくれ、ガストンは、また番号を押す。
そしてレンタカー会社に繋げて最後の18件目、「ある」との答えが返ってきた。
ただし、予約は出来ないから、欲しかったら今すぐに来いとのこと。
こういう時、諦めずに、それも最後の会社でレンタカーが見つかるとき。
間違いない。こういうタイミングの流れは、必ず自然が扉を開いてくれるときなのだ。
自然が、バルデス半島が今日、呼んでくれているのだ。
そう確信するとすぐに身支度を整えて、慌ててレンタカー会社へ駆け込んだ。
残り一台が、僕らを待っていてくれた。
契約を結び、レンタカーで1号線を北上。そして途中から73号線に入り、バルデス半島へ入ってゆく。入場料45ペソ(1500円)、車の入場料5ペソ(160円)を支払い、中へ入る。
ここは、1998年、世界遺産にも認定されたから、料金が5倍くらいに跳ね上がっていた。
国立公園事務所で、簡単な地図をもらい、船の出るプエルトピラミデへ。ガストンに予約してもらったバウチャーを見せ、正式なチケットに変えてもらい、海鮮料理の昼食を食べた。
船の出港時間は18時ジャスト。
まだ時間は3時間ほどあったので、バルデス半島のプンタ・デルガーダへ行ってみる。ピラミデから78キロ。オフロードの道を砂塵を巻き上げながら進んだ。
実を言うと、バルデス半島には過去二度ほど来たことがある。どちらもペンギンの取材で訪れたので季節は真夏の1月と2月。その時はお金もない貧乏旅行だったので、レンタカーなんて勿論借りられず、格安の現地ツアーに参加して写真を撮っていた。もうちょっと、と粘ってもそこはツアー、時間の規制を受けて、悲しい思いを何度もした。
あのとき、ペンギン以外で、感動したもの。それがゾウアザラシだった。
世界広しと言えども、あれほどゾウアザラシに近づける場所は、ここをおいて他には無いだろう。だって、ゾウアザラシの鼻先10cmくらいまで近づけるんだから。
今回も楽しみに、デルガーダへ行くと、駐車場に有刺鉄線が張られていた。
まさか・・・・・、悲しい予感は的中し、数年前から立ち入り禁止になっていた。
眼下に広がる浜辺には、2~3トンもあるゾウアザラシがゴロンと転がっている。僕が最後に来た五年前までは、ここからあそこへ降りて行けたのに。
波の音を聞きながら、唇を噛むしかなかった。
観光客が怪我でもしたのだろうか? それで立ち入り禁止になってしまったのか?
真相は分からないけれど、真実はひとつ。
世界中の面白い場所は、年々規制が強くなり、どんどんつまらなくなっている。
がっくりと肩を落としながら、まだサンセットクルーズが残っているのが、せめてもの救いだった。
5月から12月までの間、このバルデス半島のヌエボ湾に、クジラが集まってくる。
1月から4月までを栄養豊かな南極で過ごしたクジラたちは、子育てと寒さ対策のためにこの南緯41度のパタゴニア・バルデス半島へやってくる。ヌエボ湾にずっといるため、そして子育てのため、ボートを出せば、クジラたちに逢える可能性が極めて高い場所なのだ。それに子育て中は、子クジラがしょっちゅう息つぎのために、海面に上がってくるので、容易に見つけやすい。
18時、まだ陽は高いが、クルーズの始まりだ。
一日を通して、クルーズはあるけれど、通常は1グループが40人から50人。それに対して、サンセットクルーズは豪華そのもので、たったの18人だった(最大でも20人)。
そして船はゾディアックという小さな船を予定してたが、今回は風が少し強くなっていたので、通常のツアーで使う中くらいの船を使うという。つまりゆったり安定しながらクジラを見られるというわけだ。
ガイドのアンヘリカ先導のもと、ボートはヌエボ湾の最西部へと向かう。
途中、クジラの潮が、何個か見えたが、そんなのはお構いなし。
迷いなく、まっすぐ西へ向かう。
岸を出てから20分ほどたっただろうか?
遠くに4つも5つも潮の吹いているのが見える。一頭が大ジャンプ。しぶきがあがる。
おいおい、こんなにいるの? 船のエンジンが切られると、僕たちはそのクジラの群れの中へスーッと水を切って入ってゆく。
もう、あちこちに360度、クジラに囲まれている。
船のすぐ脇を通ったと思えば、船の下をくぐり、逆側へ抜け、今度は頭だけを出す。
クジラの行動は、何パターンかあるが、それらを以下に説明する。
まずはクジラの大ジャンプ。この迫力あるブリーチングという行動を間近で見ると、人生観が変わると思う。
次に頭だけを出してこちらの様子をうかがう、スパイ・ホッピング。
フリッパーを海面にうちつけるタッピング。
そして有名なクジラが潜るときに見せるテイルアップ(尾っぽが上がり沈んでゆく)だ。
船の周りには30頭~40頭くらい、いるだろうか?
もうクジラの背中に、船が乗っているみたい。
船の舳先で、写真を撮っていると、すぐ真下でクジラが潮を吹いた。それが風に乗り、僕の体を包み込む。
「くさっ」。
卵をたくさん食べた後の、発酵しきったおならの匂いがする。
そしてその香りは、僕を南極の旅に引き戻した。
南極の海で、クジラの潮をもろに全身に浴び、僕の服は即死。南極の零度の海で、洗っても洗っても決して落ちることのなかった、あの恐怖の思い出。あっちでも、こっちでも、クジラが船の真下から潮を吹いてくる。
たちまち、船は強烈なオナラ臭で、プロテクトされてしまう。
たまらず鼻を押さえている乗客もいる。
きっと、このクジラの臭さは、生態とも関係しているに違いない。
クジラは南極や北極の極地で夏の間、餌をふんだんに食べる。そして北半球なら例えばハワイ、南半球ならバルデス半島で子育てをすぐが、その間は絶食し、子供にひたすらおっぱいをあげる。自分の体の中の栄養を少しずつ、消化し、発酵させ、膨張させる。その時の発酵臭こそが、この潮の香りに繋がるんじゃないかと推測する。
潮を吹くときに、「ウェーーー、ウェーーー」と、うめき声をあげるクジラもいる。
周りのクジラは、全てミナミ・セミクジラ。ヒゲクジラの一種だ。
突然、目の前で大きなブリーチング。
一瞬、体がピタリと宙に止まり、スローモーションのように落下し、大量の水が爆発するように弾け散る。一度、ブリーチングが始まると、火がついたように、同じ個体が何度も何度もジャンプを繰り返す。
やがて陽が傾き、空も海もゴールドに色づいてくる。
クジラの潮が金色に浮かびあがり、逆光にテイルアップする光景は涙をさそう。
クジラが僕らを受け入れてくれ、健気に、一番美しい姿を惜しげもなく見せてくれる。
あっちで、ブリーチング。
こっちで、スパイホッピング。
クジラの歌が響き渡り、ゆっくりと海へ夕日が落ちてゆく。
落ちてからも、真っ赤に焼けた雲の向こうに、クジラが次々とテイルアップし、潜ってゆく。
間近でクジラのブリーチングを見たのは、南極とアラスカ。でも更にクジラの歌に包まれ、40頭ものクジラに囲まれたのは、このバルデス半島が生まれて初めての経験だった。
圧巻。
この凄まじいツアーが、数年後、禁止にならないことを祈り、僕はクジラたちに別れを告げた。「また必ず来るよ」と言い残して。
船からの帰り道、薄い雲がピンクに染まり、向こうの空はパステルの蒼色。
まるで夢を見ているような光景だった。
舳先に立つアンヘリカに「素晴らしかったね」と伝えると、アンヘリカは「今日は本当についてたわ。いつもは10頭から20頭くらいなのよ。今日はゆうに倍はいたわね。本当にラッキー。今シーズンナンバーワンね、素晴らしい日だったわ」
30分後、船は港へ到着し、終わりかと思いきや、レストランへ連れていかれる。
ここで、ケーキ、ピザパン、冷えた体に暖かいココアでもてなされ、最後はシャンパンで締め。ツアー料金は、通常(午前中やお昼のボート)の倍の200ペソ(5500円)。通常はクルーズ時間が1時間から1時間15分だけど、今回のサンセットはみっちり2時間40分だった。そしてこの泣けてくるようなサービス。
ほんと、噂どおりの素晴らしいツアーだと感動せずにはいられなかった。
今日の夢に、きっとクジラが出てくる。そしてクジラの紡ぐ、あの低いバイブレーションの歌声に、包まれるだろう。
                                  ノムラテツヤ拝

クジラ接近(c)

クジラと鳥(c)

クジラのテイルアップ(c)
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