新世界写真4622023-01-28 Sat 13:49
![]() 450年前、一人の男が岐阜へ入場した。 戦国武将の織田信長だ。 この地はまだ井ノ口と呼ばれ、金華山のてっぺんに立つ城は「稲葉城」。 そこに信長は妻の濃姫と共に10年の歳月を過ごした。 世界中を旅したポルトガル宣教師ルイス・フロイスの記述にこうある。 「ポルトガルやインド、日本の他地域の宮殿・居館の中で、最も精巧かつ豪華な作りであり、信長の宮殿は非常に急峻な山に建つ」と。 青空が広がったので、麓から駆け足で岐阜城まで登った。途中、赤い実をつけた「たまみずき」が森を彩り、まるで紅葉しているかのよう。金華山の頂に立ち、久々に岐阜を見下ろすと、長良川という龍が町を貫いているように見えた。まさに臥龍「龍の眠る地」と呼ぶに相応しい姿だ。 信長は天下統一を夢見ながら、この地を名前から変えていった。 岐阜の岐は、武王の生まれた岐山から。阜は孔子の生まれた曲阜から。つまり文武両道の町にしようと名付けられ、楽市楽座によって日本有数の活気ある町を作り上げた。 別れ際、信長がルイス・フロイスにかけた言葉がまた良い。 「岐阜へは何度も訪れよ」。 ノムラテツヤ拝 ランキングに参加しています。“地球の息吹”を楽しくご覧下さった方は、ぜひ1日1回「人気ブログランキングへ」ボタン ![]() ![]() |
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